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南国太平記

南国太平記

調所笑左衛門の改革策断行で、薩摩藩は財政立て直しに成功した。だが藩主斉興は世子斉彬に家督を譲ろうとしない。洋学好みの斉彬の浪費による財政再崩壊を恐れたのだ。一方、斉興の愛妾お由羅の方は、実子久光への家督継承を画策。その意を受けた兵道家牧仲太郎は、斉彬の子どもたちの呪殺を謀り、斉彬派の軽輩武士は陰謀暴露に奔命する。―藩情一触即発の風雲をはらむ南国藩「お由羅騒動」の顛末。

現在は「直木賞」という名前のほうが先行してしまった感のある作家・直木三十五。
かくいう私も、とあるきっかけでこの作品に興味を持つまでは全く知らない作家でした。
しかしながら、直木三十五がいなければ司馬遼太郎も池波正太郎も生れなかった――つまり今日の歴史小説はなかった、と云われている大作家だったんですね、実は!
由緒ある賞に名を冠せられているのも伊達ではない。
にもかかわらず、その代表作を本屋で買うことが出来ないとは……再販制度に胡坐をかいた出版界の怠慢なんじゃないですかね、これって。

さて私が『南国太平記』を知ったのは、十数年前、NHK-BSで再放送していた『風の隼人』という時代劇のおかげです。
このドラマの原作が『南国太平記』だったんですよ。
たまたま(というか夏目雅子目当てで)観始めたドラマでしたが、二転三転するダイナミックな物語と仇敵同士の百城月丸(坂東三津五郎/当時は八十助)と仙波綱手(夏目)の恋物語から目が離せなくて、気がついたらすっかりハマってました。
夏目雅子は、こういう愛憎相半ばするような宿命の恋が似合うんだよなあ……『黄金の日日』でもそんな役どころだった。
(と思ったら、脚本はどっちも市川森一なんですね。市川さん、わかってる!)

上の作品紹介にもあるとおり、『南国太平記』は幕末の薩摩藩に起きたお家騒動(俗に云う“お由羅騒動”)を描いた小説です。
しかし、そこに描かれているのは単なる九州一藩のローカル事件ではありません。
次期藩主・島津斉彬の語る未来、その思想に共鳴する若い藩士たち、そしてその一方で頑なにお家を守ろうとする重臣たち、彼らの意地や思いのぶつかり合いが物語を動かしてゆきます。
それは、やがて倒幕へと向かってゆくエネルギーのうねり――。
このマグマの塊のような灼熱こそが、作品を通底するテーマではないかと思いました。

ところで、一口に「倒幕派」と云っても、薩摩、長州、土佐等々の各藩また各尊攘派、いずれの目線を通して見るかで見えてくるものは微妙に異なりますよね。
佐幕派にしてもしかり……。
それぞれがそれぞれの主義・信条に基づいて行動している、その多様性(複雑怪奇とも云う)が面白いと思うんです。
「正義」はひとつじゃない、でも「愛国心」はみな同じ。
だからこそ、佐幕派にも倒幕派にも魅力を感じてしまうんだなあ…。
と云いつつ、やはり新選組と会津藩、そして河井継之助贔屓は変えられないんですけれども(笑)。
三つ子の魂百まで、というやつです。

本作の主人公は薩摩藩下級藩士の仙波小太郎(綱手の兄)という若者なんですが、小太郎一人に焦点を絞った書き方ではなく、どちらかというと群像劇っぽい構成になっています。
また、敵役であるはずの兵道家・牧仲太郎(月丸の父)や調所笑左衛門が単なる敵役ではなく、人間味を持った人物として奥深いところまで掘り下げて描かれているのも目を引きます。
(勧善懲悪を脱して、敵役を魅力的に描いたのは直木三十五が最初なんだとか)
調所や牧はさすがに大物らしく、彼らなりの正義を通した人物になっているんですよね。こういうところ、説得力があるなあと思う。
でもって俗物は俗物らしく……調所や牧と違い、最後まで生き残るところも俗物らしいっちゃ、らしいんですが、微妙に後味の悪さは残るのがねえ……なんとも。

個人的には、女性に冷たい(妹といえども容赦せずの)クールな美男子・小太郎に惹かれるところなんですが、一番人気は風雲児・益満休之助でしょうか、やはり。
価値観が激動する時代ならではの自由さを体現した、まさに時代の寵児と云える人物ですよね、益満。
他にも、やくざなスリから一転小太郎たちの強い味方になる庄吉や、小太郎のもう一人の妹として綱手にはない意志の強さを見せる深雪なども魅力的。

登場人物がどんどん死んでいったり、オカルトチックな呪殺描写があったりと結構ハードな内容なんですが、読後感は意外に爽やかです。
来たるべき時代への希望に胸ふくらませるような、そんな終り方ですね。
2段組600ページ近い大部でしたが、あっという間に読み終えられました。
面白かったです!

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