12人の怒れる男
上映終了日に駆け込みで観て来ました。
マイナー映画だと地方は2週間しかやらないから辛い…ま、やってくれるだけありがたいんですが。
シドニー・ルメットの『12人の怒れる男』のリメイクで、舞台は現代ロシア。
重かった……でも、よかった。
そう、「映画館で観られてよかった!」と久々に思ったかも。
背景に戦争(ロシアのチェチェン侵攻)や民族問題が絡んでくるので、そこだけ抽出すると、なんかもう途轍もなく重い。
重すぎて、いろんなプレッシャーがスクリーンから伝わってきて泣ける。
でも、かといって別に戦争がテーマというわけではない(と思う)。
重いんだけど殺伐としてはいないんだよね。むしろ美しく叙情的、で、時にユーモラス。
黒い土の匂いを含んだ、ロシアの風を感じられるような。
文学といい音楽といい映画といい、ロシアの芸術って本当に重厚だよなあと思う。
ヨーロッパ的な、ゴシック建築みたいな重厚さではなく、どこか土のにおいのする原初的な重厚さ。
なんだか不思議と懐かしい。
作品の内容は、養父を殺した罪で起訴されたチェチェン人の少年を巡り、12人の陪審員たちが有罪か無罪かを審議し、判決を出すまでの密室劇。
最初はみなやる気がなく(このへんもロシアっぽいと思う)、1名を除いて有罪に票を投じていたのが、議論を重ねるにつれ、1名また1名と無罪に転じていく――というお約束の流れなのだが、脚本がいいのかとにかく惹き込まれる。
2時間40分という長さを感じさせない作りが純粋にすごいと思った。
しかし、みんなよく喋るんだよな。さすがはロシアのオヤジ。
個人的な見所は、カフカスの踊りと最後のどんでん返しだろうか。
というか、正確にはどんでん返しではなく、めでたしめでたしで終りそうなところへ冷水を浴びせかけられた感じなのだけれども。
現代ロシアの抱える病の根深さに愕然とさせられるシーンだった。
それでも、最後に希望は残る。人を救うのもまた人間であるという、監督のメッセージがそこにあるように思った。
12人の陪審員たちに役名はないのだが、一人だけ、ミハルコフ監督演じる“陪審員2”(一番カッコイイ役だったり)には自分の名前(ニコライ)を名乗るシーンがある。
これってやっぱりなんらかの意味を含ませているからだよね。
というわけで、「ニコライ」って、子供の守護聖人・聖ニコライにかけてるのかなと考えてみた。
あと、他の陪審員の戯言に出てくる「愛人Juri」は「陪審=jury」にかけてるんだろうなとか、そういうのを発見するとちょっと愉しい。
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