QAF

いつの間にやら年末ですねー!
この年の瀬はいろいろあって、なんか気がついたら今年も残すところ2日になっていた……あああ年賀状まだ書いてないいいい。
そして年賀状よりブログ更新を優先する私。

さて、今年の萌えは今年のうちにということで、↓の記事関連でQAFについて書いておこうと思います。

いやもうこれ、腐女子のためのドラマとしか云いようのない超萌えドラマじゃね?と思うんですけど、明らかに我が腐女子歴中最高にマイナー、お仲間いるん?レベルな作品なんですよね……あああ切ないわ。
日本で放送したら絶対受けると思うんだけどなあ。
(でも日本語Wikiもあるし、すごい丁寧なストーリー紹介してるブログもあったし、コアな日本人ファンはいるっぽいんですよ)

あらすじはこんな感じ――。
 ワンナイトスタンドに明け暮れる日々を送る主人公・ブライアン。ある夜相手に選んだ少年・ジャスティンはブライアンのことが忘れられず、しつこくつきまとうようになる。最初は邪険にしていたブライアンだったが、次第にジャスティンに惹かれてゆく。

と、ここまでがシーズン1の流れで、最後はすんごくヘヴィなクリフハンガーでシーズン2へ……。
(ぶっちゃけると、ジャスティンがゲイ・バッシングに遭って危篤状態、茫然自失のブライアンの姿が可哀想過ぎて辛い…(涙)という、そういうシーンで終ってます。鬼畜)

ブライアンには、マイケルというやはりゲイの親友がいます。
この二人は中学時代からの付き合いで、お互いに特別な存在というか、強い絆で結ばれてる感じ。
ただし、マイケルが恋愛感情を抱いているのに対して、ブライアンの方は友情以上恋愛未満というか今ひとつはっきりしない。

シーズン1はこの、ブライアン、ジャスティン、マイケルの三角関係が恋愛パートのメインかな?
ブライアンの気持ちも(「愛なんて信じない」と云い張っているとはいえ)、まだマイケル寄りという印象。
2以降と較べると、全体的にジャスティンの出番が少なく、マイケルの方がより相手役っぽい扱いです(シーズン1については、オリジナルの英国版に沿った展開だからかも?)。
ブライアン&ジャスティン(B/J)萌えで観てる私のような人間からすると、シーズン1はやや物足りないんだよなー(気楽に観られていいんだけどさ)。
でもエピソード一つ一つの出来は2以降より秀逸なものが多いので、見応えありなのも確かです。

そんなこんなでシーズン2は傷心のブライアンに始まり、B/Jの第一次蜜月時代を経て些細なすれ違いから破局へ…そして再び傷心のブライアンで終る、という流れですかね。
前半は最高なんだけど、後半はジャスティンの描かれ方に難があり、かなりストレス溜ります。
物語のダイナミズム上仕方ないんでしょうけど、無理やり別れさせる展開へ持って行ってるようでなんだかなー、と思っちゃうんですよね。
まあ、その分ヨリを戻すまでのあれこれは激しく萌えるんですけど……。
でもやっぱブライアンが(自業自得な面もあるけど)不憫すぎて泣けるわで、シーズン2後半からシーズン3前半にかけての展開は心揺さぶられながらも複雑なものがあります。

シーズン2と同じくシーズン3も傷心のブライアンに始まりますが、最後は珍しく大団円的エンディング。
このシーズン3が個人的には一番愉しく観れたかも。
最終回もなかなか感動的なんですよね。完成度も高い。
政治的テーマが絡んでくるけど、まださほど重たくないし、なんといってもB/Jファンには萌えの宝庫的展開なのがたまらない、そんなシーズンでした。

シーズン4以降はテーマがどんどん重い方向へ行くのに加えて、ブライアンのキャラが迷走し始める感があり、なんというか、微妙。
3までは、エピソードによっては何十回目?ってくらいリピートして観てるんだけど、4と5は最初に1回早送りしつつ観たきりだったり…。
そして最終回(シーズン5第13話)に至っては、海外腐女子の阿鼻叫喚に慄いて実は未見だったりします。
いい最終回ではあるみたいなんですけどね、トラウマにもなりそうなんですよね…。

QAFという作品は基本的にブライアンを中心とした群像劇なんですが、その魅力の大半は主人公ブライアン・キニーに負うところ大、と云っていいと思います。
それくらいブライアンって魅力的なんですよね。
かなり複雑な人物なので、一言で魅力を云い表すのは難しいんですが、敢えて一言で云おうとするなら、ブライアンのモットーである"No excuses, no apologies, no regrets."のままに生きている、まさにその点でしょうか。
傲慢でありながら純粋で、ドライなようでいて情深い。そして決して嘘はつかない――この正直さが彼の魅力の土台となっているようにも思えます。
そんなブライアンでも自分の弱みを見せないために嘘を吐くことがあるんだけど、その一つが、「ジャスティンなんて愛してない」という言葉だったんだよね……というのがまた萌えるわけです。

先にちょろっと書いた通り、ブライアンという人は「愛なんて信じない。信じられるのはセックス(の快楽)だけ」という信条の持ち主で、当然恋人なんか作らないし、若く美しいうちに死にたいと思っている、まあ非常に刹那的な生き方をしてきた人なんです、ジャスティンに逢うまでは。
それがジャスティンに逢ってからどう変ってゆくか、というのも見所の一つであり、実際シーズン2以降は底なし沼に落ちたかのようにジャスティンにハマっていって、誰がどう見ても明らかなのに、当のブライアンだけは頑として自分の気持ちを認めないんですよね。
それでも、やがてはジャスティンを(条件付きながらw)恋人と認め、パートナーと認め、ついには「一緒に暮らそう」と云うまでになるんだけど、"I love you."という言葉だけは絶対に云わない。
ブライアンの最後の牙城って感じなんですが、この言葉をいつ云うかが物語終盤の焦点にもなっているわけです。

正直云って、"I love you."ってもっと軽く口にされてる先入観があったので、この物語におけるこの言葉の扱いの重さは意外でした。
ブライアンだからこそ、なのかもしれませんが、本当に愛する人にだけ云う言葉なんだなあ……と。

なんか全然語りきれてないんですが、とりあえずここで一旦上げることにします。
まだ当分萌えていると思うので、またそのうち何か書くかもしれませんがw

それでは、みなさま、良いお年を!

Queer as Folk 2000年〜2005年  アメリカ・Showtime

qaf

TORCHWOOD

しばらく海外萌えドラマ探索の旅に出ていました。
と云っても、2つ下で書いた『トーチウッド』→"Queer As Folk(以下"QAF")"(米版)とほぼ2作品しか観てないんですが……QAFが怒涛の萌えでダダはまり状態になってしまい今日に至る、と。
こっから先に進めないー!! 
他のを観ようと思いつつ、気がついたらQAFリピートしてる私、みたいな……最早中毒w

とりあえず感想書いときたいので書くことにします。
まずは『トーチウッド』ですが、そういえばこれ、全然“ブロマンス”じゃないです。むしろガチでした。
QAFはさらにガチ。

トーチウッドは、英国の国民的ドラマ『ドクター・フー(Doctor Who)』のスピンオフ作品で、一応SFなんだけど、そっち方面については広い心で観ること推奨――みたいな(これは本家のDr.Whoも同じか)。
まあこのチープさが味という気もします。
("TORCHWOOD"は"DOCTOR WHO"のアナグラムなんだそうな…おおお!)

このドラマの売りは、むしろその融通無碍なセックス観かもしれない。
主役のキャプテン・ジャック・ハークネスを、正体不明の未来人で誰とでも何とでも寝ちゃうオムニセクシュアル(何でもイケる性指向のことらしい)に設定してる時点で、作品の方向性も決ったようなもんだよなあ。
ちなみに、ジャック以外の登場人物も一応ストレートながら、男女問わず、同性(&エイリアン)とのセックスに何の躊躇もない。
色々超越してる感じなんだけど、そういうところがトーチウッド独特の世界観を作ってるんだろうなと思います。

ジャックのこの特異性って、彼が不老不死であることとも多分関係があって、誰とも一生を共にすることが出来ないから享楽的に生きざるを得ないんじゃないかと思うんですよね。
作中ではそういう屈折は全く感じさせないですが…。
しかし、誰にでも親しく接しながら、誰にも深入りしようとしないジャックは、やっぱ色々切ない人だと思う。

途中から、秘書的ポジションの青年(イアント)と深い仲になるんだけど、この二人の関係がかなり萌えなんです(イギリスの腐女子(?)にも絶大な人気で、イアントが死んだ後は抗議運動みたいなのまであったらしい)。
イアントはジャックに恋人(女)を殺されて、彼を憎んでたはずなのに、それなのに恋仲に?? と結構唐突な展開なんですが、憎しみから愛情へ移行する関係ってのが萌えツボど真ん中なのです。
一応基本的に相思相愛っぽい感じなんだけど、ジャックが何考えてるかわかんない人なので、時々一方通行の関係になるのが結構切ない。

そういえば、作品P(ラッセル・T・デイヴィス)の持論が「報われない愛にこそ心惹かれる」らしいので、そもそもハッピーエンドは期待できないのかもしれませんが。
全体通して、なんかいろいろ空白(行間とも云うw)が多い脚本で、その分妄想を煽られちゃうんですよね。
ジャックと他のキャラとの関係って謎だらけなんで、あれこれ勝手に補完して愉しむのがトーチウッド鑑賞の醍醐味のような気もします。

トーチウッドについて惜しむらくは、一応ヒロインポジの女性キャラにまっっっっったく魅力がない、どころか激しくウザいところ、であります。
実はそのせいで、途中までしか観れてないんですよね……ああこのヒロインさえいなければとっくに完走してるのになああああ。主役より出張ってたりするとか、どうなのよ。
まあでも、そのうち観ます、そのうち…。

ところで、ジャック役の役者さんってゲイなんですが、この人のパートナーがすごいイケメン!!!
ジャック役の人も普通に美形だけど、個人的にはパートナー(一般人)の方が美形度高いと思う。
まあそれにしてもきらびやかなカップル。
正直ジャックの顔立ちはあまり好みじゃないんだけど、↓の写真は結構好きです。レトロな衣装が似合う顔立ちなのかも。

CJH

腐女子としては見逃せない

トヨタの↓のCM、すごいですねw
http://www.youtube.com/watch?v=zVwJrAr7GkY (トヨタ オーリス)
これっていわゆる“男の娘”ってやつでしょうか?
天下のトヨタ様がこんなCM作るとは……いいぞもっとやれ。

そういえば、今更感ハンパないんですが最近“bromance”なる言葉があるのを知りました〜。
近年の欧米ヒット作品におけるキー要素の一つとかなんとか??
そういやアメリカ映画って、昔から同性愛ネタを隠れたテーマに使うの好きだったよね…『ベン・ハー』とか『明日に向って撃て!』とか。
その点ヨーロッパの方がオープンというか、あからさまな作品多いイメージ。
ターゲットとなる市場の違いでしょうか。

で、ここ数年はまたちょっと違う流れが来てる気がする…。
と思ってたんだけど、これがつまり“ブロマンス”だったわけなんですね。
思い起こせば『ブロークバック・マウンテン』(観てないけど)あたりから始まっていたのかも…。
最近じゃあ、映画『シャーロック・ホームズ』とか、もろそうだよなあ。
(RDjr自身が「主役二人はゲイカップル!」って公言してるのが笑える)
おまけに(?)バットマンの作者までバットマンはゲイとか云っちゃうし…ってどうなんですか、それ。
まあ腐女子にとっちゃ有難いことではあります。
(ていうか腐女子って世界的にマーケティング対象になってんですかね? うーん……)

そして“SHERLOCK”なんですけど、これはもうどこからどう見てもブロマンスですよね!
そもそも原作からして元祖みたいなもんだしな……あれを現代に置き換えて作るとなるとやっぱそうなるよね!みたいな。
私、小学生の時にホームズシリーズと明智小五郎シリーズにはハマったけど、アルセーヌ・ルパンは今ひとつ惹かれなかったんですよね。
でもってホームズとワトソンが別居してる話よりも、同居してる話の方が断然好きだった……話の筋にはまっっったく関係ないというのに。
今にしてみれば、無自覚ながら腐女子アンテナが作動してたとしか思えないわー。
いやあ三つ子の魂百までってやつですね。

話がそれましたが、“SHERLOCK”は、現代に生きるH&Wとしてのふたりが唯一無二の友(?)となってゆく過程を、英国らしくスタイリッシュに21世紀の今という空気感を滲ませながら、ミステリ成分と同等の比重で描いている、そういう作品かなと思います。
その描き方がホモホモしいのもまた現代的で面白いよね!という。
基本的にゲイネタはわりとギャグっぽく入れられてるんだけど、なにしろ英国式ユーモアなのでどこまでネタなのかわからず軽く踊らされてしまう…そういうM心をそそるところも好きですっ。

しかし、シーズン2の第3話(原作の「最後の事件」にあたる話)は切なかったな。
シャーロックからジョン(ワトソン)への最後の電話とか、ジョンがシャーロックのお墓の前でひとり、シャーロックに語りかけるシーンとか、もう辛すぎて見てられないって感じです。
「君に逢うまで、僕は孤独だった」ってジョンの言葉には泣けたわ。最後の「僕のために奇跡を起こしてくれ。死んだままでいないでくれ」ってところも……滲み出る愛情が切ない。
役者さんの演技もすごいんですよね。
較べちゃいけないと思いつつ、今の日本のドラマや映画の惨状を思うと……はああああ。

ジョンのためにもシャーロックには早く復活してほしいところですが、なんでもシーズン3の放映予定は来年10月だとか。
あ、あと1年以上も先……(…)。
それまでは意地でも死ねないわー。SHERLOCKとヤマトを心の支えに生きよう。

そしてこれを機会にブロマンスな海外ドラマ探索の旅に出るべ、と思ったら『トーチウッド』というこれまた英国ドラマに当ったので早速TSUTAYAへ行ってくることにします。わくわく。

黄金の日日

TSUTAYAで昔の大河ドラマを借りてちびちび観てます。
半年で1作品コンプするかどうかという、超スローペースですが。
コンプ作品の中でほぼ同時代(織豊時代)を扱ったものが3つあり、それぞれの視点の違いが面白かったので比較メモにしてみよう――と思ったんですが、『黄金の日日』を延々語っているうち力尽きました…。

『黄金の日日』 1978年
脚本:市川森一 原作:城山三郎 主演:市川染五郎(現松本幸四郎) 

黄金の日日 完全版 第弐集 第29回~第51回収録 [DVD]

この町はベネチアの如く執政官により治められる。
堺と称するこの町は甚だ大きく且富み、
守り堅固にして諸国に戦乱あるも、
この地に来(きた)れば相敵する者も友人の如く談話往来し、
この地に於て戦うを得ず。
この故に堺は、未だ破壊せらるることなく、
黄金の中(うち)に日日を過ごせり。
       ――ポルトガル宣教師ガスパル・ビレラの書簡より

炎上する堺の町を背景に、この文章が淡々と朗読されてドラマの幕が開きます。
なんという諸行無常……しかし、この歴史の非情さを描かなければ、歴史ドラマなんてただの紙芝居だと思う。

『黄金の日日』は、堺の商人・納屋助左衛門(呂宋助左衛門)を主人公として、主に彼の視点から戦国動乱の時代を描いています。

【主役】
まあ、大河の主役って難しいとは思うんですよね。
終始出ずっぱでないといけないし、毒があってはいけないし、結局無難なキャラになりがちというか。
しかし、無難な空気キャラならまだいいんです……!
独善的な主役ほど鬱陶しいものはない。「助左、Uzeeeeeeee!」と何度叫びそうになったことか。
幸四郎はまあよかったと思うんですけども…(演技は微妙だったけど)。
【脇役】
いいねいいねー!
三傑は云わずもがな、善住坊(川谷拓三)の悲哀、五右衛門(根津甚八)の不遜さ、モニカ(夏目雅子)の情念、そして、今井宗久(丹波哲郎)を始めとする会合衆の威厳と風格…。
『黄金の日日』は脇役陣のドラマにこそ醍醐味があると思います。
同じ市川脚本の『風の隼人』も、やはり主役空気で脇のドラマの方が面白かったから、もしかして市川氏の作品の特徴なのか…も?
【三傑】
織田信長(高橋幸治):個人的に最大の収穫。
その気品も冷酷さも、時折見せる笑顔も、すべてがパーフェクトだったなあ…。
台詞の抑揚のなさすら魅力となってしまうという。
登場回数は少ないながら鮮烈な印象を残す信長様(「様」付けせずにはいられない)ですが、「叡山焼討」はその真骨頂。
「有知無知の僧たるを問わず、女小童にも仮借は無用、山中の人影は皆斬り捨て、かたちあるものには火を放ち、全山人気なき焼き山にしてしまえ」
いささかも表情を変えずに秀吉と光秀にこう命じてみせる信長様は、まさしく魔王でした。

豊臣秀吉(緒形拳):人なつっこいお侍から傲慢な為政者へ、その変貌ぶりが凄すぎる!
血を吐き、のた打ち回りながらの死に様はトラウマもの。
秀吉にこんな死に方をさせるなんて、このドラマくらいじゃ?(信長様はあんなに美しく死んでゆかれたのに…なんと対照的な)
ところで、秀吉は何故利休に切腹を命じたのか――本作の解釈が非常に興味深かったので、ちょっと長いですが引用します。
黄金の茶室にて、利休(鶴田浩二)の助命嘆願に来た治部少輔・石田三成(近藤正臣)に、利休が死なねばならぬ理由を説くシーンです(「一介の船乗りが〜」の件りは助左衛門を指しています)。   
聞けよ、治部。
天下を統一するとは、物の価値を不動のものとすることじゃ。
金は金、銀は銀、土塊は土塊でなくてはならん。
土塊が黄金になってはならんのじゃ。
……
人も同じだ。
大名は大名、百姓は終生百姓でなければならん。
百姓が大名になってはならんのじゃ。
利休が生きている限り、この鉄則を確立することは出来ん。
利休が手を触れれば、土塊が黄金になる。
官位も身分も超えて、天子の頭上におのが木像を掲げてしまう。
利休一人のために物の価値が乱れ、人の世の上下秩序が蔑ろになる。
……
邪魔なのだ、こういうものが。
かわらけが、目利き一つで黄金と成り得た時代、
一介の船乗りが、一夜にして大徳人と成り得た時代、
そして、百姓の小倅が、たちまち関白にまでのし上がった時代
かくのごとき時代は終わりだ。
……終わりにせねばならん。
    
徳川家康(児玉清):信長秀吉に較べると、出番も少ないし地味な印象は拭えませんが、知将の匂いがとても好きでした、児玉家康。
登場する度に偉くなっていて、少しずつ寡黙に、冷ややかさを増していってたように思います。
秀吉の変遷にしてもそうだけど、物語の中でちゃんと時が流れてるんですよね。
家康の登場シーンで好きなのは、三方ヶ原への出陣を決意するところ。
「もののふならば、名を惜しめ」と家臣を叱咤する、家康らしからぬ(?)熱さがいいのです。

市川森一氏の脚本って文学的香気があって好きなんです。
ロマンと冷徹さのバランスがちょうどいい塩梅なんですよね。
キワモノ的悪役の原田喜右衛門(唐十郎)にダンテを朗誦させたり、たまにやり過ぎだったりするのはご愛嬌で(笑)。

これ書きながらDVDを見返してたんですが、ついつい見入ってしまうわー。
他にも鳥取城の兵糧攻めの話(浜畑賢吉氏演ずる吉川経家が素晴らしいんです)とかいろいろ語り尽くしたいところですが、今日はこのへんにしておきます。

新選組血風録(BSプレミアム)

ご無沙汰でございます。
(果たして、まだ見てくださってる方はいらっしゃるのでしょうか?)

前回の更新から早4ヶ月……まあGWまでには更新できるさーとか思ってたような気もしますが……そのまさかになってしまいました……あはははは。

それはさておき、久々にハマりものが出来たんです!!
そうです、BSプレミアムで放送中の『新選組血風録』です!!
もうね、すごいんですよ、本当に本物の“時代劇”なんですよ。
こんな硬派の男臭い時代劇なんて死滅したかと思ってたのになあ…と嬉し涙にかきくれてます。

土方歳三に永井大さん、近藤勇に宅間孝行さん、芹沢鴨(退場済)に豊原功補さん、というキャストです。渋い。
他の隊士はほぼ無名の俳優ばかりなんだけど、色が付いてないのが却っていい。
地味とも云えるけど(笑)。
わたし的には「地味上等じゃん!」って感じです。
とにかく皆さん、所作や殺陣がしっかりしてて爪の先まで新選組隊士なんですよね。
役者なら当り前のことかもしれないけど、最近は看板(のはず)の大河ドラマからして所作もへったくれもあったもんじゃないから…。
その心意気やよし、です。

私は『燃えよ剣』を読んで以来新選組といえば、一に土方、二に土方、三四が沖田で、五に土方ってくらい土方が好きなんですけど、このドラマにおいては一に沖田、二に沖田になりそうです。
ってそれくらい沖田役の辻本祐樹くんがいい!!!
司馬遼太郎の沖田総司は――現在流布する総司のイメージの原形とのことですが――魅力的なだけに癖があって、実際どんぴしゃりの役者さんっていなかったんですよね(私が観た限り)。
司馬さんの沖田って、子供のような透明感と鬼神のような残酷さ、無邪気に「かわいそうだな」と云うその心情と一切の躊躇いなく相手を斬るその心情になんらの齟齬もない、そういうどこか生身の人間離れした青年なわけですよ。
美男子がやればいいというもんでは決してない。

なので今回の辻本くんも、知らない役者さんってこともあり、あまり期待してなかったんですが、意外や意外まさにどんぴしゃりではないですかー。
風貌も雰囲気も素晴らしいんだけど、なんといっても殺陣が見事!
流れるような太刀さばきとはまさにこのこと――猫にマタタビよろしくうっとり見入ってしまいます。
ああチャンバラ観てるんだという充実感(涙)。

次は「沖田総司の恋」にあの「前髪の惣三郎」をミックスした回になるそうですが、一体どんな展開が待っているのだろう…。
せっかくだからがっつり衆道な世界を展開してほしいんだけど、無理かな。無理だろうな。

いずれにせよ楽しみです!


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今のところ、わりと堅めの一般書+マンガばかりでBLナシ、感想もないので何の面白味もないただの一覧表みたいなもんですが、本買ったら更新してると思いますので生存確認代わりにでも、とリンク欄にリンク貼っておきます。