「尖った山のむこうから」

ヒトカラに行って来ました。ストレス発散目的。
あー思いっきり声出して歌うのって快感! 体内に溜ったエネルギーを排出する感じがたまらん。
自分的にストレス発散効果抜群ソングなのは「YAH-YAH-YAH」とスピッツの「みそか」です。
我ながらわかりやすいなあ。わかりやすすぎて恥ずかしいくらいですよ。
そんなこんなで昨日は40曲くらい歌いまくりました。さすがにすっきり。

途中、持ち歌も尽きて、リモコンで90年代のヒットソングなんぞを見つつ歌ってたんですが、なんかねえ、やけに切ない気分になってしまいましたよ。
ビーイング系ってあったよねえ…そしてなんといっても小室全盛期だった。
あの頃ってまだバブルの名残りがあったのか、時代の空気もどこかふわふわしてた気がする。
少なくとも今みたいな閉塞感はなかったような…。
当時流行った歌も、当然そういう時代の気分を映し出していたから、余計切なく感じてしまうのかな。
“兵どもが夢のあと”みたいな、そんな感傷…。

ヒトカラの愉しみ・その2は、萌えソングを萌えカプに当てはめて歌い、ひとり悦に入ることです。
B'zの「Don't Leave Me」(ヘタレ攻用)とかスピッツの「夜を駆ける」(殺伐カプ用)とか、このへんは個人的定番ソング。
昨日は、モンパチの「小さな恋のうた」が意外と萌え歌なのを発見しました。
お前ら、可愛すぎるだろ!みたいな純情カプにぴったり…なんだけど、自分の萌えカプに当てはまりそうなのがいない…悲しい。

あと、「彼と彼女のソネット」も好きなんだなあ。わりと少女漫画テイストですが。
“こんなに近くにいてあなたが遠のいてく 足音を聞いている”
なんてところとか、悲恋萌えっすね。

あ、そうだ、昨日の最大の発見、それは「絶望ビリー」の歌詞が日本語だったこと!です。
いやー、これ、ぜんっぜん歌詞聞き取れなくて、何語で歌ってんのか不思議だったんですよねー。
まさか日本語だったとは。
しかも、ちゃんとデスノに合せた歌詞になってる!! もう超絶に感動しました。
ハードロック系は新鮮なり。

至福の徹夜明け

スラムダンク (31) (ジャンプ・コミックス)

先週今週と『スラムダンク』をまとめ借りしてきて読んでました。
読み出したら止まらないので、きりのいいところで一旦中断して用事を済ませるようにしてたんだけど、昨夜は「連休だから」とつい読み耽ってしまい、気がついたら夜が明けていた……最終巻まで計14巻一気読みですよ。

感想は、「面白かった!」と「感動した!」、もうこれ以外出てこない感じですね。
湘北チームも対戦相手の選手たちも、出てくるキャラみんなバスケが大好きで、そこにすべてが集約されるシンプルさがいい。
一人一人のバスケに寄せる想いが、それぞれ微妙に違うかたちをしていて、でもそれぞれにリアルなんだよなあ。
最初は汚れ役系かと思った豊玉の南なんかも、やっぱりバスケが好きで好きでたまらない少年で、それをリアルな説得力でもって描く井上雄彦はすごいです…。
こういうエピソードって、作者に力量がないと嘘くさい綺麗事になりがちだと思うんですよね。
豊玉の監督の「オレはお前らが大嫌いだ。なのになぜ…負けちまえって気にならないんだ」ってセリフもよかった。

そういえば、スラダンは名セリフの宝庫だそうで、有名な「あきらめたらそこで試合終了ですよ」は、読む前から私も知ってました(笑)。
あと、「バスケがしたいです、安西先生」も。
読みながら、どこで出てくるのかワクワクしてたんだけど、どっちも花道ではなくミッチー絡みだったんですね。
ただ、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」は、最後の山王戦でもう一度出てくるので、安西先生のポリシー且つ作品のテーマのひとつでもあるのか――。
それにしても、どのセリフをとっても、それぞれのシーンにぴたりとはまってるところがすごいですよねえ。
そういうところも名作たる所以なんだろうな。

登場人物の中では花道と、ミッチーこと三井が特に好きでした。
花道は、とんでもない失敗しつつもぐんぐん成長してゆく姿を見てるのが最高に楽しかった。
“シロート”設定なのも感情移入しやすいポイントだったかも。
ミッチーはルックスと、他のキャラほど精神的に強くないところとそれでも頑張るところ、そして育ちがよさそうなところが好きかな。
もしかして母性本能をくすぐるタイプかもしれないですね。
ところで、自分の好きになるキャラって2番人気かそれ以下のことが多いので、ミッチーもあんまり人気ないだろうと想像してたんですが、ダントツ1番人気(@Yahoo!のアンケート)で驚きました。
そうだよね、カッコイイもんね、うんうん。

しかし、今思い返しても、山王戦――特に終了間際の1分間は鳥肌モノだった。
最後の力を振り絞って花道がシュート決めた時は泣きましたよ。
(ていうか、山場ではことごとく泣かされたわけですが)
ページから伝わる緊張感もすごかった。緊張感と興奮が極限に達してストイシズムさえ感じさせた気がする。
そして、そこから解き放たれた歓喜の爆発も。
この1分間は、スポーツをする者にとっての至福が凝縮された1分間だったんじゃないかと思いました。

小春日和

発掘物



机の上の山を片付けてたら出てきた使い捨てカイロ。
手に持った感触が、なんかすごくごわごわ…湿気たダンボールみたいな。
有効期限見たら、2005年6月だった。
3年前かー…さすがに使う気はないけど、使ったらどうなるのかちょっと興味が湧きます。
まさか発火したりはしないよね。

*最近買った本
『夏への扉』
『銀魂』12巻&13巻
『盗賊の森の一夜』
『僕のやさしいお兄さん』2巻

*ほしい本
『パラレルワールド--11次元の宇宙から超空間へ』

個人的にSFは鬼門中の鬼門なんですが、何故かタイムパラドクスものには心惹かれます……根がロマンチストだからでしょーか?
SFって究極のロマンを追求できるジャンルなのかもしれないなあ……。

MW -ムウ-

MW(ムウ) (1) (小学館文庫)

この作品を初めて読んだのは高校生の時。
図書室にあった手塚治虫全集の中から何気なく手にとってみたら、いきなり同性愛描写が目に飛び込んできて驚いたものです。
(同性愛描写とはいっても、ごく上品かつ抽象的なものなのだが、なにしろ当時は免疫なかったので結構ドキドキした)
しかし、憶えていたのはそこだけで、ストーリーについてはきれいさっぱり忘れ去っていた。
或いは、忘れてしまったわけではなく、始めからろくに読むことなく書架に戻していたのかもしれない。いや、きっとそう。
というのも、今回読んでみてわかったのだが、この『MW』という作品、かなり残酷なのである。
実際これがリアルな画風で描かれていたら、今だって読むのをためらうかもしれない。
多感な時期ならなおさら、軽くトラウマになったと思う。

ことほどさように『MW』は、手塚治虫の明るく健全なイメージからはかけ離れている。
同性愛はもちろん、殺人、強姦、獣姦、拷問と、描かれる内容はまるで悪徳と禁忌の見本市のよう。
そして主人公の結城美知夫は、メフィストフェレスに擬せられる殺人鬼。
その名の通り、美貌と知性を兼ね備えていて、出逢う人間すべてを虜にしてしまうような魅力の持主だ。
変装が得意で、女に化けるシーンも多いのだが、声音まで完璧に女性になりきるところがまたすごい。
こういう変幻自在さは実に悪魔的で、どんなにありえなくても「悪魔だからね」で納得してしまう感じ(笑)。
とにかく結城の万能感と妖しい魅力は半端ではない。

結城と愛憎関係にあるのが聖職者の賀来(がらい)神父という設定も象徴的で面白い。
賀来という男、聖職者とはいえ元々が罪の意識を逃れるために入信したこともあって、非常に人間くさい。
結城を受け入れることも断ち切ることも出来ず、常に迷い悩んでいる、そういうところは結城よりもよほど俗っぽく人間的だと云える。
迷える子羊は、どちらかというと賀来の方なんだよね。
賀来と較べてみるとわかりやすいのだが、結城にはまったく迷いがない。
目的のためならどんなに残酷なことも厭わず、子供だって殺してしまう。
このあたりの容赦なさはすごい。手塚治虫もよく描ききったと思うし、それを許した当時の出版社また社会の懐も深かったのだろう。
結城が殺人兵器“MW”を追うことにも、別に大義名分など存在しない。
どうせ死ぬなら人類を巻き添えにしてやろうという、ただそれだけの理由なのだ。
その悪への徹しようは痛快でさえある。

実際、結城を見ていると、男と女、正義と悪、神と悪魔、あらゆるものの境界が溶けてゆく錯覚を覚えなくもない。
作中「悪魔も神さまも結局同じものなんじゃないかしら?」とのセリフがあるが、結城を通して手塚治虫が表現したかったものもそういうことなのだろう。

しかし、ただのスーパーマン的造形では物語に奥行きがなくなってしまう、ということで、結城にも人間的な感情はある。
それが描かれるのが賀来とのシーンで、賀来を翻弄しつつもどこか女性的な甘えが垣間見えるのが面白い。
賀来に抱かれながら「それとも……女に会うの?」と呟くところなど、薄暗い情念さえほの見える気がする。
このシーン、サロメとヨカナーンがモチーフに使われているのだが、結城の愛情もまた、サロメと同様に純粋で屈折したものだったのかもしれないと思うとちょっと切ない。

結城と賀来の関係についてはただし、深い感情的繋がりは窺えるものの突っ込んだ心理描写がないため、読者は語られていない部分を想像で補う必要がある。
これは、結城と家族(特に兄)との関係についても云えるかと思う。

以下、どうでもいいようなことを少し。
『MONSTER』のヨハンって、結城を少なからず参考にしたのかなあと思った。
特に女装して悪巧みをするところはかなりイメージかぶるので、確実に影響受けてる気がする。
(結城と『悪霊』のスタヴローギンを足して2で割り、10倍に希釈したのが、ヨハンの個人的イメージ)
政治家「中田英覚」のアナグラムに気付いた時は、なるほどと思ったというか驚いた。
それから、結城がもみあげ作ってるのは当時流行ってたからなんですかね。
もみあげ残したまま女装するのは至難の業だと思うけど、そこは漫画なので気にしないことに…。

輝け未来

ムサビ日記 -リアルな美大の日常を-

“ムサビ”とは武蔵野美術大学の略称だそう。
本書は、その「ムサビ」の学生専用ブログに綴られた日記を収録したもの。
学生時代っていいよね、と昔の自分を思い出してしまうこと請け合いです。
大学の四年間というのは、考えてみれば不思議な時間だ。
人生において、あれほど無際限の自由と可能性を与えられ、尚且つ生活と身分を保障されている時間なんて他にないだろう。
そして、その自由をどう使うか、活かすか殺すか、すべては自分次第。
この上なくシビアに“自分自身”を試される場であり、この上なく純粋に――利害とか世間とか関係なく、自分自身について考えられる時間だったと、今になって思う。

収録された日記の書き手は20人以上に及び、各エントリ数や長さなどはばらばら。
語り口は概ね今時の若者なのだが、書かれていることは真面目そのものです。
創作者として、自分自身と逃げず向き合っている彼らの姿は、強すぎる自負心をも含め(芸術家なら当然?)、眩しいくらい。
目標に向かって頑張っている若者はいいなあ…と、自分まで原点に立ち返ったような、清々しい気持ちになる。

自負心といえば、多くの学生が愛学心を語る中、一人わりと醒めた視点から「ムサビ」を見ている学生がいて、その冷静な語り口が印象に残った。
いろんな視点があっていいというか、そういう視点のあることに少しほっとしたのも事実かな。

その他、最近の就活の様子(殺気が充満してそうでコワイ)なども強烈だったのだけど、一番印象的だったのはやはり美大ならではの面白エピソード。
特に、毎年必ず伝説が生れるという入試がすごすぎる!
着ぐるみ着てきた受験生とか、超リアルな性器を作り上げた女の子とか、見学できるものなら是非にもな光景がずらり。
面白すぎます、美大入試。
ちなみに藝大の一次試験は国技館で行われるそうで、それもすごいよね。