暑中お見舞い申し上げます

暑さと仕事でバテバテです。脳みそが溶けかかってます。
脳の活性化には何がいいんでしょうね…。私は大概音楽聴いたりDVD観たり、五感を刺激する方向に行っちゃうんですが。
そういえば、五感のうちで嗅覚だけが脳の伝導路が違うんですよね。
他の感覚と違って本能に直結してる、最も原始的な感覚だとかなんとか読んだ憶えが。
って今調べたら、嗅覚だけが大脳辺縁系という旧脳で処理されるのだそうで。
だから、嗅覚で感じることってすごく動物的なわけか…フェロモンとか食べ物の匂いとか、すべて快・不快で判断されると。
好きか嫌いかの二択だけ、って、いいなあ、この単純さ!

ところで、音楽については広く浅くなもんで、洋楽・邦楽・クラシック無節操になんでもありで聴きます。
なんかもう本能の赴くままにって感じで……特にこんな暑い時は、さらに暑苦しい曲を聴いてテンション高めようみたいな。
“暑苦しい曲”といえばってことで、最近チャイコフスキーの「1812年」を毎日聴いてるんですけど、これって“暑苦しい”通り越して笑えてくるくらいの異常テンションだと思う。
特に最後の狂乱ぶりはすごすぎる。打楽器鳴りまくりの大砲撃ちまくり…大砲を使うという発想がすごいな。
これ書いた時のチャイコフスキーってどういう精神状態だったんだろう。なんかもう、やけくそで書いててもおかしくないって気がするんですが。
ていうか、ある種捨て鉢な爽快さがあるんだよなあ、あのラスト。
脳内麻薬が分泌される感じが癖になります。

今知った事実

先日買った『アイツの大本命』を袋から出して、シュリンクを破ったところで、いきなり厭な予感。
初出一覧をおそるおそる見てみたら……がーん。
入ってないんですかああああ! 2008年7月号掲載の話!!
ショックです、ライトくん。

ていうか、よくよく考えてみれば、いくらなんでも1ヶ月前に本誌掲載の話が載るわけないですよねえ。
私のバカバカバカ。
まあでも、リブレは2巻出す気まんまんってことで前向きに考えておきますとも。

高永さんの『不器用なサイレント2』も一緒に買いました。
最近締めの文句がこればっかりですが、いずれ読みます。

MAGAZINE BE×BOY 8月号

かなり久々に買いました、マガビー。
…なんか……すごく薄味だった気がするんですが、以前もこんなもんだったっけ……。
続けて読んだ同人誌の方が100倍くらい濃くて、ちょっと切ない気持ちになりましたよ…。
一応ほぼ全部読んだので感想なぞ書いてみることに。

[結構萌えた話]
「誰にも愛されない」山田ユギ
 これ目当てだったもんで、期待が大きすぎた感もありますが、やっぱ面白かった。
 上野って中途半端に社会性があるぶん、日下より不器用さが目立つような。そしてそこが可愛いと思う。
 長谷川がまるっとお見通しで笑いました。お坊ちゃんかと思ってたら、案外大人だった。さすがタラシ!

「ねかせないで」町屋はとこ
 うわあ、こういうカップルどっかにいそう、と思って萌えました。
 このまま続いても、やっぱりダメで別れても、どっちに転んでもおかしくなさそうな。(現実にそういうカップルって多いよね)
 この話はそういう展開にはならないと思うけど、無条件の優しさから逃げ出す男の、本能的に感じる恐怖って去勢恐怖に近いんだろうか、とかどうでもいい連想をしてしまいました。

「自動昇降恋愛 -恋した10秒後-」桑原祐子 
 可愛かったー。これぞ王道って感じで。
 受が過去のトラウマから攻を信じきれないってのが切ないですね。お約束なんだけど、そのお約束なところがよかった。

[何故か気になる話]
「王子と乞食」河井英槻 
 久々に読んだら、結構話が進んでさらにわけわからんことになっていた…。
 特に萌えはないんだけど、ちょっと同人誌的な雰囲気が自分のツボにハマる気がする。
 とりあえず死んだのは誰なのか、あるいは誰も死んでないのか、続きが気になります…。

[続きが気になる話]
「野獣で初恋」大和名瀬 
 さすが手堅いという感じで面白かったです。
 話の内容はさておき、名瀬さんというとショタっぽいイメージがあったんだけど、最近は大人同士のもよく描かれてるんですね。
 規制が厳しくなったせいもあるのかなあ…とかちょっと考えてしまった。杞憂ならいいんだけど。

「猿喰山疑獄事件」遙々アルク
 この重々しいタイトルは一体…!
 カプの行方もさることながら、今後このタイトルがどう関係してくるのかが気になって仕方ありませんー。

その他、「雨にも迷わない」(本庄りえ)はなんでああいうラストにしたのだろう…必然性を感じなかったんですが。「え、これで終り!?」みたいな。
「恋愛操作 -番外編-」(蓮川愛)は内心メタボに焦る攻が可愛かった(笑)。奥村って38歳くらいなんですね。もっと年上かと思ってたので、ちょっとびっくり。
「嘘みたいな話ですが」(腰乃)がまだ続いてたのにもちょっとびっくり。このカップル、何故か応援したくなるんだよなあ。

てなところでしょうか。なんだかんだと結構長くなりました。 

ラーメン食べたい

ポテチ



って、今そんなにほしいわけじゃないんだけど、なんかお腹がすくとこの歌が脳裏を巡ります…。
あーでもラーメンでもいいかなあ…わりと年中食べたいかも。ラーメン。

今日はお休みだったので一日ごろごろしていました。
冷房代節約のためにも外出した方がいいよなあと思いつつ、基本的に引きこもり体質なので、特に予定のない日は引きこもってます。

しかし、いったん引きこもるとオタク街道まっしぐらなんだなあ。
気がつくと頭の中は、萌えカプ→食べ物→萌えカプ→仕事→食べ物→萌えカプ、みたいな、なんか原始的なことになってます。

そんでもって、今、ゴーヤチャンプルーを切実に食べたい…。
こう暑いと、食欲が湧くものって限られてくるじゃあないですか。そこでゴーヤですよゴーヤ。
あの苦味がいい感じに食欲を増進させる気がする!
あと、そうめんも食べたい…そうめん。
去年はこのふたつの合せ技で、そうめんチャンプルーばっか作ってました。
あああ、思い出したらほしくなってきた。今年もこればっかになりそうな予感。

なんか暑いせいか、甘いものも南国系のが猛烈にほしいです。バナナフリッターとか黒糖豆乳ラテとか。
黒糖豆乳ラテはドトールのやつが美味しいんだよなあ。
毎日でも呑みに行きたい…ていうか朝昼晩呑みたい。

写真のポテチは昨日買って、記念(?)に写真に撮っておいたものです。今は私の胃袋の中…。
カルビーのポテチは、このフレンチサラダ味が一番好きなんですが、イマイチ人気がないのか、レギュラーになれそうでなれない、微妙な位置づけのポテチな気がします。

食い物の話題ばかり……。

エレファント

エレファント デラックス版

映画や小説の、なにげないシーンや音楽がいつまでも心に残って消えないことがある。
それを観たり読んだりしたときは何も感じなかったはずのシーンが、どういうわけかフラッシュバックのように思い出される。
そこには深い意味が込められているのかもしれないし、意味など何もないのかもしれない。
しかし、自分の心のどこかが感応したことは確かであり、確かである限り、人はそこに意味を見出そうとするのだろう。

『エレファント』は、1999年にアメリカで起きた「コロンバイン高校銃乱射事件」をモデルとした映画である。
題材は衝撃的だが、映画の作り自体は非常に淡々としたもので、ドラマ性はほぼ排除されている。
事件が起きるまでの一日が、高校生たちの姿を通して描かれるが、物語らしい物語はない。
また、誰かひとりに視点を定めることもせず、カメラは単調とさえ感じられるリズムで、数人の高校生たちの行動をただ静かに追うだけである。
平凡な一日は、今までのすべての日々と同じように、時に病んだ顔を覗かせながらも穏やかに流れてゆく。

そして、その平凡な一日を否定し、破壊するかのように銃乱射は起きる。
まるでロボットのごとく淡々と同級生や教師を射殺していき、最後には共犯の友人をもなんのためらいもなく殺してしまう少年――その動機ははっきりとは示されない。
いじめられっ子であったらしいことや、銃に異常なほどの興味を示すなどの特異性はあるが、それらを上記の行動に至る動機とするのは、あまりに乱暴であるように思う。
すべての解釈は観る者に委ねられているのだが、たしかに云えることは、どんな日常も闇を内包しているということかもしれない。

殺伐としたテーマながら、ガス・ヴァン・サント監督の映画らしく、映像も音楽も叙情性と瑞々しさに満ちている。
なかで不思議に強い印象を残すのが、主犯の少年が「エリーゼのために」を弾くシーンである。

犯行の前日、シューティングゲームの合間に戯れに弾くかに見える「エリーゼのために」――この愛らしいピアノ曲がシューティングゲームの合間に弾かれることに、少年の危ういアンバランスさを感じ取ることができるかもしれない。
が、今このシーンを心に浮かべて感じるのは、何か透き通ったような残酷さと物悲しさである。
イ短調からヘ長調への転調は、雲間から射す光を思わせ、それは少年時代の一瞬の輝きに重ねられる。
そして、「エリーゼのために」を耳にするたび、その光景とかすかな痛みが甦って来るのである。

「エリーゼのために」は、映画『ベニスに死す』の中でも印象的な使われ方をしている。
主人公アッシェンバッハの恋焦がれる少年タッジオが、ホテルの娯楽室でピアノを弾くシーンだが、ここでの「エリーゼのために」は何か不穏な物憂さといったものを感じさせる。
映画を観終えた後では、それはまるで、アッシェンバッハがこれから陥らんとしている破滅への予兆だったようにも思えてくる。

破滅への予兆、という点においてはこのふたつのシーンは同じなのだが、呼び起こす心象風景はまったく違う。
しかし、そのどちらもが、「エリーゼのために」とともに甦って来る風景であることも確かなのである。