外科室・海城発電
そのかよわげに、かつ気高く、清く、貴く、美(うる)はしき病者の俤(おもかげ)を一目見るより、予は慄然として寒さを感じぬ。――「外科室」
鏡花作品の女性は激しいなあ。
愛に殉ずることをよしとする、というよりも、おのが裡なる情念に殉ずることをよしとする――しからずんば死を、という人生ですよね。
その情念は肉体的快楽を伴わず、故に極限まで純化されて、美しくも凄絶な観念性にまで達しているように思われます。
泉鏡花の世界そのものとも云えるこの“観念的な愛と死”の主題、本短篇集ではそれが非常にストレートに描かれていました。
「義血侠血」
「滝の白糸」はこれが原作だったんですね。
水芸人“滝の白糸”こと水島友が一目惚れした車夫・村越欣弥のために尽くし抜く姿が、聖女か鬼女かという激しさ。
村越も寡黙ないい男です。
にしても、最初の乗合馬車での出逢いから最後の裁判所の顔合せまで、たぶん3回しか逢っていないんですよね、このふたり……。
その間の、どんでん返しに次ぐどんでん返し的な展開も相当濃いんですが、何かに憑かれたような白糸の情念が圧巻なのです。
読後感はなんとも云えません。
「夜行巡査」
これまた信念に憑かれた巡査の話。
この巡査と恋人・お香の仲を屈折した愛情から引き裂く伯父が、実にサディスティックで、結ばれない美しい男女のロマンを掻き立てる感じです。
が、しかし、結局のところ、彼らを永遠に引き裂いたのは、巡査の巡査たらんとする信念だったのではないか……。
やはりなんとも云えぬ読後感。
「外科室」
吉永小百合主演で映画化されてましたね(しかし吉永小百合は違うだろー)。
「義血侠血」のふたりはたった3回逢っただけで心中(結果的に見れば)してしまうのですが、このふたりは一度すれ違っただけの出逢いで心中してしまうという…まさに観念的愛の極限ですね。
それにしても女性の造型や描写の細心さ・深さに較べて、おしなべて恋の相手となる男性の影の薄いのは何故……まるでヒロインの情念が映し出す影のような。
そのぶん「夜行巡査」のサド伯父や「化銀杏」の夫みたいな、嗜虐性のある男性描写が濃いのがなんだか倒錯的だわ。
「琵琶伝」
この話はわたし的には一番強烈だったかもしれない。
一途でプラトニックな愛、引き裂かれた男女、ふたりを邪魔するサディスティックな男、と鏡花世界を盛り上げる要素すべて揃ってます。
それらがことごとく極限に達しているというか、少しも抜きの要素がないので、読んでて結構辛かったかもしれない…。
そして最後が、最後が……こういうラストをヒロインに与える鏡花って、女性の最高の賛美者でもありサディストでもあるような…。
最後の一文が切なく哀しいです。
「海城発電」
珍しく男性主役。
「夜行巡査」と同工異曲な感じの、博愛精神に殉じた従軍看護員の話。
「化銀杏」
恋愛譚ではないですが、ヒロインの造型はこれが出色かもしれないと思う、ちょっと怖い話。
自分を束縛する夫から逃げようとする儚げな女の話かと思いきや……いやあ女って恐ろしいですね。
やはり泉鏡花はただの女性賛美者ではない。
それにしても、自由を切望し、夫の死を願いながら、誰よりも貞淑な良き妻であろうとする、その心の矛盾にまるで無頓着なヒロインが、恐ろしくもあり哀れでもあります。
「凱旋祭」
夢か現か――シュールな光景の数々が明け方の悪夢を思わせるような不思議で不気味な掌篇。
いずれの主人公にも云えることは、みな何がしかの情念に囚われていること――それはむしろ強迫観念に近いとさえ云えるかもしれません。
そして、この強迫観念がおそらく泉鏡花自身のものであったことは、たとえば、鏡花が「腐」の字を嫌悪して決して使わず、どうしても必要な場合は代わりに「府」を当てた(「豆腐」は「豆府」と書いた)などというエピソードからも容易に推測されるでしょう。
この初期短篇集はそうした鏡花の内面が実に濃密に映し出されたものとなっているように思えます。