外科室・海城発電

外科室・海城発電 他5篇 (岩波文庫)

 そのかよわげに、かつ気高く、清く、貴く、美(うる)はしき病者の俤(おもかげ)を一目見るより、予は慄然として寒さを感じぬ。――「外科室」

鏡花作品の女性は激しいなあ。
愛に殉ずることをよしとする、というよりも、おのが裡なる情念に殉ずることをよしとする――しからずんば死を、という人生ですよね。
その情念は肉体的快楽を伴わず、故に極限まで純化されて、美しくも凄絶な観念性にまで達しているように思われます。
泉鏡花の世界そのものとも云えるこの“観念的な愛と死”の主題、本短篇集ではそれが非常にストレートに描かれていました。

「義血侠血」
「滝の白糸」はこれが原作だったんですね。
水芸人“滝の白糸”こと水島友が一目惚れした車夫・村越欣弥のために尽くし抜く姿が、聖女か鬼女かという激しさ。
村越も寡黙ないい男です。
にしても、最初の乗合馬車での出逢いから最後の裁判所の顔合せまで、たぶん3回しか逢っていないんですよね、このふたり……。
その間の、どんでん返しに次ぐどんでん返し的な展開も相当濃いんですが、何かに憑かれたような白糸の情念が圧巻なのです。
読後感はなんとも云えません。

「夜行巡査」
これまた信念に憑かれた巡査の話。
この巡査と恋人・お香の仲を屈折した愛情から引き裂く伯父が、実にサディスティックで、結ばれない美しい男女のロマンを掻き立てる感じです。
が、しかし、結局のところ、彼らを永遠に引き裂いたのは、巡査の巡査たらんとする信念だったのではないか……。
やはりなんとも云えぬ読後感。

「外科室」
吉永小百合主演で映画化されてましたね(しかし吉永小百合は違うだろー)。
「義血侠血」のふたりはたった3回逢っただけで心中(結果的に見れば)してしまうのですが、このふたりは一度すれ違っただけの出逢いで心中してしまうという…まさに観念的愛の極限ですね。
それにしても女性の造型や描写の細心さ・深さに較べて、おしなべて恋の相手となる男性の影の薄いのは何故……まるでヒロインの情念が映し出す影のような。
そのぶん「夜行巡査」のサド伯父や「化銀杏」の夫みたいな、嗜虐性のある男性描写が濃いのがなんだか倒錯的だわ。

「琵琶伝」
この話はわたし的には一番強烈だったかもしれない。
一途でプラトニックな愛、引き裂かれた男女、ふたりを邪魔するサディスティックな男、と鏡花世界を盛り上げる要素すべて揃ってます。
それらがことごとく極限に達しているというか、少しも抜きの要素がないので、読んでて結構辛かったかもしれない…。
そして最後が、最後が……こういうラストをヒロインに与える鏡花って、女性の最高の賛美者でもありサディストでもあるような…。
最後の一文が切なく哀しいです。

「海城発電」
珍しく男性主役。
「夜行巡査」と同工異曲な感じの、博愛精神に殉じた従軍看護員の話。

「化銀杏」
恋愛譚ではないですが、ヒロインの造型はこれが出色かもしれないと思う、ちょっと怖い話。
自分を束縛する夫から逃げようとする儚げな女の話かと思いきや……いやあ女って恐ろしいですね。
やはり泉鏡花はただの女性賛美者ではない。
それにしても、自由を切望し、夫の死を願いながら、誰よりも貞淑な良き妻であろうとする、その心の矛盾にまるで無頓着なヒロインが、恐ろしくもあり哀れでもあります。

「凱旋祭」
夢か現か――シュールな光景の数々が明け方の悪夢を思わせるような不思議で不気味な掌篇。


いずれの主人公にも云えることは、みな何がしかの情念に囚われていること――それはむしろ強迫観念に近いとさえ云えるかもしれません。
そして、この強迫観念がおそらく泉鏡花自身のものであったことは、たとえば、鏡花が「腐」の字を嫌悪して決して使わず、どうしても必要な場合は代わりに「府」を当てた(「豆腐」は「豆府」と書いた)などというエピソードからも容易に推測されるでしょう。

この初期短篇集はそうした鏡花の内面が実に濃密に映し出されたものとなっているように思えます。

2011年備忘録的な何か

まったくもって自分のための2011回顧録です。東京中心なのです。

東京タワー

3月11日20時頃の田町近辺です。
着いた途端に地震に遭遇し、どうにかこうにか友人と落ち合い、長い道のりを友人宅まで歩き始めたところ。
東京タワーがあまりに綺麗だったので、陸橋の上から写しました。
みんな黙々と歩いていて、なんか妙な一体感があったなあ……。
中央区を出た辺りから徐々に徐々に人が減って、淋しくなっていったんですけれども。(友人の家はわりと最果てだった)

そんなわけで当然ながら、この時は殆どどこへも行けず。
唯一観れたのが↓の「ボストン美術館浮世絵名品展」@山種美術館でした。

チラシ

これ観に行ったのが確か13日。すでに電車も普通に動いてて、この時は今のような事態を予想だにしなかった気がする。
美術展は役者絵や美人絵が中心の、江戸の風俗を生き生きと伝え――といった趣きのものでした。
なんか最近和食を食べたいと思うことが多いんだけど、絵画も、西洋画より浮世絵や日本画に食指が動くんですよね。
人間、齢とると嗜好が変わるんだなあ…としみじみ実感する私。

もう1枚のチラシは9月に行った時のもので、「実況中継EDO」展@板橋区立美術館。
この美術館の企画展は本当に学芸員の愛がこもってる感じ。
小粒ながらもお客さんを愉しませようというサービス精神に溢れてるんですよ〜。

そして実況中継EDO展の見物は、なんと云っても伊能忠敬の「日本沿岸輿地図」!
一目見ただけで伊能忠敬の凄さがわかるシロモノ。
普通に今使ってる地図と寸分違わなく見えたんですけど…あれを一人で測量して作ったとか…伊能忠敬、何者?と思わずにはいられない。

他にも、日本人の記録好き、収集好きなところがよくかる展示品が多く、「こんなに細密な記録とる(しかも趣味で)民族って他にいねーよなー、恐るべしオタク魂だわ」などと感慨深かったです。

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板橋美術館の幟(笑)。可愛すぎるだろー。

ある日の三田線

都営三田線の確か高島平あたり(板橋美術館へ向かう途中)。
車両内に自分一人になったので、思わずパシャリ。
東京でもこんなことがあるんだわーとなんか妙にワクワクしてました。

チケ

この時はあんまり興味を惹かれる美術展がなくて、「これでも行くかー」(すみません!)ともいっこ選んだのが「皇帝の愛したガラス」展@東京都庭園美術館。
エミール・ガレの“ヒキガエルとトンボを描いた花器”が結構好みだったな〜。
ヒキガエルとトンボの組合せがなんかシュールというか、ガレの趣味なのか何かの影響なのか……ちょっと興味が湧いたり。

シーサーみたいな

庭園美術館正面入口でお出迎えしてくれたシーサー(?)。

庭園美術館

とても東京都心にあるとは思えない庭園美術館の庭園(と云いつつ東京って結構緑多いよね)。
夏場は絶好のオアシスって感じです。気温が2、3度違いそう。

宗谷

宗谷丸@船の科学館。
この写真撮った時は名前しか知らなかった宗谷丸、その後ドラマ「南極大陸」で話題になり(観てなかったですが)、「ああ、あの船!!」と思ったのでした。
今こうして見ると、なんだかとても健気な姿に見えてくる。

去年は他に正倉院展(母のお供)とか山陰の温泉とか鳥取砂丘とかに行きました。
正倉院展、行く前から戦々恐々だったんですが、やはり!案の定!ものすごい人人人!!! 入館するまでに果てそうになった。
でも、奈良公園の鹿も見られてよかったよ(何の関係が…)。
温泉は、やや鄙びた場所にある古い旅館で、そのもの淋しい感じが何故か好きでした。ああまた行きたい。

ABC殺人事件

ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

The ABC Murders / Agatha Christie  1936
堀内静子訳


いわゆる“ミッシング・リンク(missing link)”ものの古典的代表作品。
ミッシング・リンクとは――
「失われた環?」などという曖昧な知識しかなかったんですが、なんでも――ミステリの場合――一見なんの関連性もない連続殺人を繋ぐ、背後に隠れた共通点のことだそうです。

内容は、タイトルから推測されるように、ABCの順でその頭文字の人間が殺されてゆくというものです。
事件の直前には必ず犯人からポワロへの予告が届きますが、このあたり実に古典的な見立て殺人モノって感じです。

そしてなんと今回、犯人と動機が大当たりでした。いやっほーい!
こんなにあっさり当たってしまって、一体どうしたの私!? もしや名探偵開眼!?
なんてことは無論なくて、ただ単にこの作品が教科書のような、ミステリ入門にはうってつけの作られ方をしていたおかげと思われます。
要するにある程度ミステリ(特にクリスティー作品)を読んでいれば思い浮かぶような、まったくケレン味のないプロットだったと…。
(ここから若干ネタバレを含むので折り畳みます) 続きを読む>>

みそか

大変お久しぶりです。
2011年(平成23年)も残すところ後1日となってしまいました。
私は昨日まで仕事だったんですが、こんな歳の瀬に風邪を引き込んでしまい、でも仕事は休めず、となんかもうヘロヘロな年末を過しています。
やっぱマスク予防は大切だよね、うんうん。

話変って、クロネコヤマトがすごかった件。
今日実家の母宛に届いた宅急便(from伯父)が、町名と電話番号と下の名前しか合ってなかった(!!)、すげー。
「◯◯市△△区☆☆11−22」→「◯◯市☆☆333−44−5」みたいな住所になってた上に、母の氏名が旧姓だよ、おいおい。
届く前にドライバーさんから電話があって、道案内した上で来てもらったんですけどね、それでも結構近所まで探り当ててたんですよね、すごいわ。

ヤマトといえば夏にもトンデモな1件がありました。
この時はT芝のオンラインショップが発送元だったんだけど、住所の町名が抜けてて、
「◯◯市△△区☆☆11−22」→「◯◯市△△区11−22」になってたの。
それでも届けてしまうヤマト、まさに!マジぱねえっす!!

さて、ここから本題で、先日積み本中の『SEX PISTOLS 6』を読みました。
おおお、画がまたえらく変っとるではないか……いやしかし、以前の壮大な変りっぷりを思えばまだマシかもしれん…と前向きに考えておこう。
なんか雰囲気が重いというか思わせぶりというか、『コンクリート・ガーデン』っぽいですね。
『コンクリート〜』は佳作だったけど、こっちはどうかな。見事に風呂敷畳んでくれることを祈ってます。

そしてお約束な流れで1巻から読み返して萌え再燃、やっぱ米しろ篇はよく出来てる!!
このシリーズってぶっちゃけ設定の勝利、たらこさんは設定思いついた時点で成功を確信したに違いないと思うんだけど、米しろ篇は特にその旨みが十全に発揮された話だったんじゃないでしょか。

“本能で惹かれ合う”ってテーマがねー、最高に萌えなんですよねー!!
ありがちな設定だと途端に嘘くさくなっちゃうけど。
そんな嘘くささとは無縁の「斑類」設定、この説得力を見よ……。
米国の相手はしろでなければならず、またしろの相手も米国でなければならない、という絵に描いたような唯一無二の恋愛ですね。
ああ萌えって素晴らしい。

米しろ篇は伏線の張り方も見事だったなあと思います。
・しろの正体
・米国のしろへの気持ち
特にこのふたつについて、ヒントを小出しにしていく構成がうまい!
米国の夢遊病設定も、本能と理性のアンバランスさを彼の特異体質にうまく絡めてるなあと思う。
頚筋のキスマークを見てから本能がすべてを押し流し始め…って展開も萌えです。

それと物語に余白が多いのも妄想を煽るんですよねえ。
オオカミ=断絶種の設定とか……ここからいくらでもエピソード作れそうなのに、作らないのがたらこさんらしいというか。
使い捨て設定だとしたら、すごく贅沢だわ。

何度読んでも面白い、萌える、という点で、『SEX PISTOLS』は『真夜中を駆けぬける』シリーズと並んでマイベストBLです、今のところ。

南国太平記

南国太平記

調所笑左衛門の改革策断行で、薩摩藩は財政立て直しに成功した。だが藩主斉興は世子斉彬に家督を譲ろうとしない。洋学好みの斉彬の浪費による財政再崩壊を恐れたのだ。一方、斉興の愛妾お由羅の方は、実子久光への家督継承を画策。その意を受けた兵道家牧仲太郎は、斉彬の子どもたちの呪殺を謀り、斉彬派の軽輩武士は陰謀暴露に奔命する。―藩情一触即発の風雲をはらむ南国藩「お由羅騒動」の顛末。

現在は「直木賞」という名前のほうが先行してしまった感のある作家・直木三十五。
かくいう私も、とあるきっかけでこの作品に興味を持つまでは全く知らない作家でした。
しかしながら、直木三十五がいなければ司馬遼太郎も池波正太郎も生れなかった――つまり今日の歴史小説はなかった、と云われている大作家だったんですね、実は!
由緒ある賞に名を冠せられているのも伊達ではない。
にもかかわらず、その代表作を本屋で買うことが出来ないとは……再販制度に胡坐をかいた出版界の怠慢なんじゃないですかね、これって。

さて私が『南国太平記』を知ったのは、十数年前、NHK-BSで再放送していた『風の隼人』という時代劇のおかげです。
このドラマの原作が『南国太平記』だったんですよ。
たまたま(というか夏目雅子目当てで)観始めたドラマでしたが、二転三転するダイナミックな物語と仇敵同士の百城月丸(坂東三津五郎/当時は八十助)と仙波綱手(夏目)の恋物語から目が離せなくて、気がついたらすっかりハマってました。
夏目雅子は、こういう愛憎相半ばするような宿命の恋が似合うんだよなあ……『黄金の日日』でもそんな役どころだった。
(と思ったら、脚本はどっちも市川森一なんですね。市川さん、わかってる!)

上の作品紹介にもあるとおり、『南国太平記』は幕末の薩摩藩に起きたお家騒動(俗に云う“お由羅騒動”)を描いた小説です。
しかし、そこに描かれているのは単なる九州一藩のローカル事件ではありません。
次期藩主・島津斉彬の語る未来、その思想に共鳴する若い藩士たち、そしてその一方で頑なにお家を守ろうとする重臣たち、彼らの意地や思いのぶつかり合いが物語を動かしてゆきます。
それは、やがて倒幕へと向かってゆくエネルギーのうねり――。
このマグマの塊のような灼熱こそが、作品を通底するテーマではないかと思いました。

ところで、一口に「倒幕派」と云っても、薩摩、長州、土佐等々の各藩また各尊攘派、いずれの目線を通して見るかで見えてくるものは微妙に異なりますよね。
佐幕派にしてもしかり……。
それぞれがそれぞれの主義・信条に基づいて行動している、その多様性(複雑怪奇とも云う)が面白いと思うんです。
「正義」はひとつじゃない、でも「愛国心」はみな同じ。
だからこそ、佐幕派にも倒幕派にも魅力を感じてしまうんだなあ…。
と云いつつ、やはり新選組と会津藩、そして河井継之助贔屓は変えられないんですけれども(笑)。
三つ子の魂百まで、というやつです。

本作の主人公は薩摩藩下級藩士の仙波小太郎(綱手の兄)という若者なんですが、小太郎一人に焦点を絞った書き方ではなく、どちらかというと群像劇っぽい構成になっています。
また、敵役であるはずの兵道家・牧仲太郎(月丸の父)や調所笑左衛門が単なる敵役ではなく、人間味を持った人物として奥深いところまで掘り下げて描かれているのも目を引きます。
(勧善懲悪を脱して、敵役を魅力的に描いたのは直木三十五が最初なんだとか)
調所や牧はさすがに大物らしく、彼らなりの正義を通した人物になっているんですよね。こういうところ、説得力があるなあと思う。
でもって俗物は俗物らしく……調所や牧と違い、最後まで生き残るところも俗物らしいっちゃ、らしいんですが、微妙に後味の悪さは残るのがねえ……なんとも。

個人的には、女性に冷たい(妹といえども容赦せずの)クールな美男子・小太郎に惹かれるところなんですが、一番人気は風雲児・益満休之助でしょうか、やはり。
価値観が激動する時代ならではの自由さを体現した、まさに時代の寵児と云える人物ですよね、益満。
他にも、やくざなスリから一転小太郎たちの強い味方になる庄吉や、小太郎のもう一人の妹として綱手にはない意志の強さを見せる深雪なども魅力的。

登場人物がどんどん死んでいったり、オカルトチックな呪殺描写があったりと結構ハードな内容なんですが、読後感は意外に爽やかです。
来たるべき時代への希望に胸ふくらませるような、そんな終り方ですね。
2段組600ページ近い大部でしたが、あっという間に読み終えられました。
面白かったです!