くらもちさん、私が小学生の時すでに第一線で活躍されていたと思う。
あれからウン十年経ってるというのに、この感性の瑞々しさはどうだろう。
数年前に『天然コケッコー』を読んだ時も同じようなことを感じたんだけど、くらもちさんのアンテナって全然錆び付いてないよね。未だに脱皮し続けてるようにさえ見える。
決して守りに入らないってことは、決して枯れないってことでもあるんだろうな。
そういう意味で、見事に“守破離”を体現してる人だと思う。
第1話の舞台は東京の下町、中学生の女の子が主人公の淡い恋のお話だった。
第2話にはその後の顛末が描かれているのかと思いきや、舞台はいきなり長野県に変っている。主人公もまるで関係なさそうな大人の女性。
なので当然、「ふーん、一話完結モノなんだ」と読んでたのだが、ところがどっこい、第1話からの糸がちゃんと張り巡らされてあった。
この作品、ひとつの物語を主人公とアングルを変えながら見せてゆくという、よくある手法の連作になっていたのだ。
確かによくある手法なのだが、見せ方が巧いのか、なんだかとても新鮮に読めたのが不思議。
たぶん、スポットが当たるキャラたちの役割と、各々の相関性がすぐには分からないようになっているせいかもしれない。
で、話がかなり進んだところで、「あ、ここで繋がるんだ」とちょっとした驚きがある。
スポットの当て方とかエピソードの重ね方が巧いんだろうな。それも計算を感じさせない巧さ。
これぞ熟練の技ってやつですね。
物語は群像劇風に展開しながら、その中心に、いかにもくらもちキャラらしい男子高生・圓城陽人の存在を強く感じさせる作りになっている。
この陽人くんが実にカッコよくてミステリアス。くらもちさんの男子キャラは永遠のアイドルだよなあ。
そして腐女子的には、陽人に絡んでくる眼鏡少年・入谷の存在に萌えないわけにはいかない。
このふたり、何か濃密な空気を漂わせてるように見えるものの、まだまだ関係性に謎が多いもんで、余計行間を読みたくなるというか妄想を煽るんだよね。
神社のシーンとか神社のシーンとか。
とはいえ、やはり王道系少女マンガ(? レディコミじゃないし、どう分類すれば??)なので、BL的展開にはならないだろうな…。
オーソドックスに王道的に展開すると考えるなら、陽人はオーロラ姫の生れ変わりの女の子とくっついてハッピーエンドだろうか。
それにしても、「腐女子」とか「萌え」とか出てきた時はちょっと焦った。くらもちさんのマンガでこの手の言葉を目にする日が来るとは…(笑)。
入谷は父親を事故で亡くしているのだが、形見の腕時計に関する話がとてもいい。
傷ひとつなく動き続ける腕時計を見るたびに、彼は父親のことを思い出す。
「それがせめて必然であったって誰か納得させてほしい」と彼が云う、そのセリフがひどく切ない。
たぶん人生で初めて経験する不条理――それを受け入れるまでの出来事がさらりと描かれている。
このさらりと押し付けがましくない感じ、いいよねえ。
他に、かつて人気を博した女性声優の話なんかも味わい深かった。
立場が逆転してしまった後輩のことを回想するシーン、ほんの2ページほどのシーンの中に彼女と後輩との関係性や、何故立場が逆転してしまったのかを読み取ることが出来るようになっている。
そして、「誰にも求められていないという孤独感」が誰かに求められている喜びに変るラストシーンの見事さ。
巧いんだけどあざとくない、この感性はやっぱり少女のものかもしれないと思った。