萌えは続くよどこまでも

萌えの死角 (ニチブンコミックス)


今さん、こういうのに萌えるのかと興味深かった。
好きな作家さんの頭の中って覗いてみたくなるよね。
それで自分と趣味嗜好が合うとわかれば尚うれし。
今回のは、「わー、それ私も好きー!」(萌えはさておき)ってのが多くてすごく愉しかった。
(以下、今さん本にかこつけた萌え語り)

で、冒頭のAM/P『白鳥の湖』。私もこれ観に行ったんだよー! DVDも買ったんだよー! いいよね、A/MP!としょっぱなから興奮してしまった。
この日本公演、白鳥役がA・クーパー、J・パlスター、それから元東京lバレエ団の首l藤さんのトリプル・キャストで、誰が来るかは当日幕が開くまでわからなかったんですよね。
そもそもがクーパーの当たり役(DVDの白鳥もクーパー)だったから、やはりみんな彼の白鳥を観たかったらしく(含・自分)、クーパーに当たるまでは…!とすごいリピート鑑賞率になったんだと思う。

ちなみに私が観た日はパスlターでした。今さん仰るとおり濃かった(ラテン系だから?)。
彼のは本当にしっとりとした白鳥で、そこはかとなく官能的…てか色っぽかったです。
対照的にクーパーの白鳥はすごくダイナミックなんですよね。まさにゲイの憧れるノンケそのものって感じ。
あ、そういえば、王子はゲイって裏設定があったはず…。
とはいえ、特に同性愛がテーマになっているわけではなく、白鳥は王子の願望であり救いであり、生命の象徴と云ってもいい存在として描かれていたように思う。
まあとにかく、月並みな云い方ですが、感動的な舞台でした。ラストは震えが来るくらいすごかった。
チャンスがあればもう一度観たい。

それと、ヌレlエフとジョルlジュ・ドン! てかジョルlジュ・ドンのボレロ!
これ、昔友人が貸してくれたビデオで観たことあるんだけど、ほんっとーーーにすごかった。
バレエ観て感動するとか想像できない、という私の偏狭な先入観をがらりと崩してくれた映像でした。
あれはもうね、生ける芸術だよね。
ボレロ踊ってるドンには神が宿ってるといっても過言でない、みたいな。
これも可能なら生で観てみたかったなあ。

と、いろいろわかったようなことを書いてますが、バレエは全くの門外漢です。
むしろ映画の方がまだ語れるレベルにあるようなないような。
というわけで映画ネタなんですが、これも好きなのいろいろ出てきて興奮したー。
『リトル・ダンサー』とか『司祭』とか『覇王別姫』とか(古いのばっかだな)。
『司祭』はベッドシーンがやたらすごくてガチっぽかった記憶があるんだけど、当時こっちの世界にあまり免疫なかったからそう見えただけかも…。
今観たらぬるく感じるんだろうか…それもイヤだなあ。
『二十歳の微熱』と『愛情萬歳』も観たよ。懐かしいよ。
同じゲイ映画でもヨーロッパとアメリカ、アジアで、それぞれ異なった空気感醸成してるよねえ…こうして並べてみると興味深い。
欧米に較べると、アジアはやっぱウェットだな。このしっとり湿った空気がいいわけだけど。

『ふたりlっ子』でやおいには爆笑してしまいました。
このドラマ好きだったんだよね。唯一観たことある朝ドラ。
銀lじいも森山さんも大好きだったなあ……懐かしすぎるわ。
しかし、これでやおい妄想できるとは思わなかった(笑)。それも銀lじい受!
今さん、腐女子度低いって書いてるけど、充分素質あると思うよ!
日本lホモl協会といえば、"Hold me."の訳し方の件りも最高でした。さすが腐女子の味方、日本lホモl協会。
あと『ハゲlタカ』が出てきたのもうれしかったな。
「もう終わりだね、オレたち」って……(笑)。確かにそう云い換えてもハマりそうなとこがすごい。
いやでも、ホントにあのプールサイドのシーンは近来稀に見る萌えシーンでしたね。

ガチ話とか同人ネタとか結構あっけらかんと描かれてたのも面白かった(ていうか、ちょっとびびった)。
モッlクンネタの「ホモなんじゃないの?」とか、直球ど真ん中(笑)。
しかし、ネットでまことしやかに噂されてるガチ疑惑ってどこまで本当なんですかね。
芸能人は結婚しててもわかんないからなあ…って話があらぬ方向に行きそうなのでこのへんで締めときます。
長っ。

2勝1敗みたいな

MYSTERIOUS DAM!シリーズが出ていたあああ! それも1ヶ月も前に…。
早速買ってきて速攻で読みました。
ついでに積読BLタワーを少し崩してみた……んだけど、改めてチェックしてみると、もう読みそうにない未読本が結構あるんだよな。
古本屋に持ってくのは恥ずかしいし、可燃ごみに出すのは気が引けるし、うーんうーん、どうしよう……。


『電脳天使殺人事件』五百香ノエル/画・松本花

新作読めてうれしいでっす。やっぱこのシリーズ好きー。
毎度のことながら物語終盤になると、さあ天音が窮地に陥るぞー、浮名が助けに来るぞー、とワクワクしちゃうんですよね。黄門様の印籠登場みたく。
でもマンネリっぽく感じないのは、キャラの内面描写が毎回どこか新鮮だからかも。
最初はまるで翳のなさそうに見えた浮名が、実はドロドロとしたものを抱えていたりとか。
そういうのが、薄皮をはぐように見えてくるところに萌えます。

『愛の深さは膝くらい』依田沙江美

これ、奥付見たら4月発行になってた…半年以上寝かせてたのか。3ヶ月くらいかと思ってたのに。
高校生モノって依田さんの得意パターンなんすかね。今回も可愛くて萌えましたー。
攻の先生がぜんっぜん罪悪感ないところがいいわ(笑)。
外面よくて、一見先生っぽいんだけど、やる気とか使命感とかそんなもんナッシングのニート予備軍のチャラ男くんなとこも、こういうのいるいるーとリアルで面白かった。
で、そんな軟派な攻が不意に誠意を見せたりすると五割増しでカッコよく見えるんだよねえ。
当て馬(?)師範代の車をボコりそうになるシーンとか。おー、やる時はやるんだな、とポイント急上昇でした。
受の昴の耳年増なお子様っぷりも可愛い…。でもこれ、本懐遂げるまでに相当かかりそうだよね…(笑)。

『死ぬほど好き』山田ユギ

うーん、これはイマイチだった。
とりあえず萌えがあったのは「明烏」と「夢泡雪」かな。
受の「君みたいな子に本気になって捨てられたら、たぶんもう立ち直れない」という述懐が切なかった。
なんかこのカップルって、“ノンケ”とか“ゲイ”とかの言葉がハマるというか、本当にこんなシーンが日本のどこかで展開されてそうな気がしました。
あ、それと「愛がどうした」の親カプ、見覚えあるなと思ったら、前の短篇集に出てたんですね。読み返してみようっと。

至福の徹夜明け

スラムダンク (31) (ジャンプ・コミックス)

先週今週と『スラムダンク』をまとめ借りしてきて読んでました。
読み出したら止まらないので、きりのいいところで一旦中断して用事を済ませるようにしてたんだけど、昨夜は「連休だから」とつい読み耽ってしまい、気がついたら夜が明けていた……最終巻まで計14巻一気読みですよ。

感想は、「面白かった!」と「感動した!」、もうこれ以外出てこない感じですね。
湘北チームも対戦相手の選手たちも、出てくるキャラみんなバスケが大好きで、そこにすべてが集約されるシンプルさがいい。
一人一人のバスケに寄せる想いが、それぞれ微妙に違うかたちをしていて、でもそれぞれにリアルなんだよなあ。
最初は汚れ役系かと思った豊玉の南なんかも、やっぱりバスケが好きで好きでたまらない少年で、それをリアルな説得力でもって描く井上雄彦はすごいです…。
こういうエピソードって、作者に力量がないと嘘くさい綺麗事になりがちだと思うんですよね。
豊玉の監督の「オレはお前らが大嫌いだ。なのになぜ…負けちまえって気にならないんだ」ってセリフもよかった。

そういえば、スラダンは名セリフの宝庫だそうで、有名な「あきらめたらそこで試合終了ですよ」は、読む前から私も知ってました(笑)。
あと、「バスケがしたいです、安西先生」も。
読みながら、どこで出てくるのかワクワクしてたんだけど、どっちも花道ではなくミッチー絡みだったんですね。
ただ、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」は、最後の山王戦でもう一度出てくるので、安西先生のポリシー且つ作品のテーマのひとつでもあるのか――。
それにしても、どのセリフをとっても、それぞれのシーンにぴたりとはまってるところがすごいですよねえ。
そういうところも名作たる所以なんだろうな。

登場人物の中では花道と、ミッチーこと三井が特に好きでした。
花道は、とんでもない失敗しつつもぐんぐん成長してゆく姿を見てるのが最高に楽しかった。
“シロート”設定なのも感情移入しやすいポイントだったかも。
ミッチーはルックスと、他のキャラほど精神的に強くないところとそれでも頑張るところ、そして育ちがよさそうなところが好きかな。
もしかして母性本能をくすぐるタイプかもしれないですね。
ところで、自分の好きになるキャラって2番人気かそれ以下のことが多いので、ミッチーもあんまり人気ないだろうと想像してたんですが、ダントツ1番人気(@Yahoo!のアンケート)で驚きました。
そうだよね、カッコイイもんね、うんうん。

しかし、今思い返しても、山王戦――特に終了間際の1分間は鳥肌モノだった。
最後の力を振り絞って花道がシュート決めた時は泣きましたよ。
(ていうか、山場ではことごとく泣かされたわけですが)
ページから伝わる緊張感もすごかった。緊張感と興奮が極限に達してストイシズムさえ感じさせた気がする。
そして、そこから解き放たれた歓喜の爆発も。
この1分間は、スポーツをする者にとっての至福が凝縮された1分間だったんじゃないかと思いました。

MW -ムウ-

MW(ムウ) (1) (小学館文庫)

この作品を初めて読んだのは高校生の時。
図書室にあった手塚治虫全集の中から何気なく手にとってみたら、いきなり同性愛描写が目に飛び込んできて驚いたものです。
(同性愛描写とはいっても、ごく上品かつ抽象的なものなのだが、なにしろ当時は免疫なかったので結構ドキドキした)
しかし、憶えていたのはそこだけで、ストーリーについてはきれいさっぱり忘れ去っていた。
或いは、忘れてしまったわけではなく、始めからろくに読むことなく書架に戻していたのかもしれない。いや、きっとそう。
というのも、今回読んでみてわかったのだが、この『MW』という作品、かなり残酷なのである。
実際これがリアルな画風で描かれていたら、今だって読むのをためらうかもしれない。
多感な時期ならなおさら、軽くトラウマになったと思う。

ことほどさように『MW』は、手塚治虫の明るく健全なイメージからはかけ離れている。
同性愛はもちろん、殺人、強姦、獣姦、拷問と、描かれる内容はまるで悪徳と禁忌の見本市のよう。
そして主人公の結城美知夫は、メフィストフェレスに擬せられる殺人鬼。
その名の通り、美貌と知性を兼ね備えていて、出逢う人間すべてを虜にしてしまうような魅力の持主だ。
変装が得意で、女に化けるシーンも多いのだが、声音まで完璧に女性になりきるところがまたすごい。
こういう変幻自在さは実に悪魔的で、どんなにありえなくても「悪魔だからね」で納得してしまう感じ(笑)。
とにかく結城の万能感と妖しい魅力は半端ではない。

結城と愛憎関係にあるのが聖職者の賀来(がらい)神父という設定も象徴的で面白い。
賀来という男、聖職者とはいえ元々が罪の意識を逃れるために入信したこともあって、非常に人間くさい。
結城を受け入れることも断ち切ることも出来ず、常に迷い悩んでいる、そういうところは結城よりもよほど俗っぽく人間的だと云える。
迷える子羊は、どちらかというと賀来の方なんだよね。
賀来と較べてみるとわかりやすいのだが、結城にはまったく迷いがない。
目的のためならどんなに残酷なことも厭わず、子供だって殺してしまう。
このあたりの容赦なさはすごい。手塚治虫もよく描ききったと思うし、それを許した当時の出版社また社会の懐も深かったのだろう。
結城が殺人兵器“MW”を追うことにも、別に大義名分など存在しない。
どうせ死ぬなら人類を巻き添えにしてやろうという、ただそれだけの理由なのだ。
その悪への徹しようは痛快でさえある。

実際、結城を見ていると、男と女、正義と悪、神と悪魔、あらゆるものの境界が溶けてゆく錯覚を覚えなくもない。
作中「悪魔も神さまも結局同じものなんじゃないかしら?」とのセリフがあるが、結城を通して手塚治虫が表現したかったものもそういうことなのだろう。

しかし、ただのスーパーマン的造形では物語に奥行きがなくなってしまう、ということで、結城にも人間的な感情はある。
それが描かれるのが賀来とのシーンで、賀来を翻弄しつつもどこか女性的な甘えが垣間見えるのが面白い。
賀来に抱かれながら「それとも……女に会うの?」と呟くところなど、薄暗い情念さえほの見える気がする。
このシーン、サロメとヨカナーンがモチーフに使われているのだが、結城の愛情もまた、サロメと同様に純粋で屈折したものだったのかもしれないと思うとちょっと切ない。

結城と賀来の関係についてはただし、深い感情的繋がりは窺えるものの突っ込んだ心理描写がないため、読者は語られていない部分を想像で補う必要がある。
これは、結城と家族(特に兄)との関係についても云えるかと思う。

以下、どうでもいいようなことを少し。
『MONSTER』のヨハンって、結城を少なからず参考にしたのかなあと思った。
特に女装して悪巧みをするところはかなりイメージかぶるので、確実に影響受けてる気がする。
(結城と『悪霊』のスタヴローギンを足して2で割り、10倍に希釈したのが、ヨハンの個人的イメージ)
政治家「中田英覚」のアナグラムに気付いた時は、なるほどと思ったというか驚いた。
それから、結城がもみあげ作ってるのは当時流行ってたからなんですかね。
もみあげ残したまま女装するのは至難の業だと思うけど、そこは漫画なので気にしないことに…。

輝け未来

ムサビ日記 -リアルな美大の日常を-

“ムサビ”とは武蔵野美術大学の略称だそう。
本書は、その「ムサビ」の学生専用ブログに綴られた日記を収録したもの。
学生時代っていいよね、と昔の自分を思い出してしまうこと請け合いです。
大学の四年間というのは、考えてみれば不思議な時間だ。
人生において、あれほど無際限の自由と可能性を与えられ、尚且つ生活と身分を保障されている時間なんて他にないだろう。
そして、その自由をどう使うか、活かすか殺すか、すべては自分次第。
この上なくシビアに“自分自身”を試される場であり、この上なく純粋に――利害とか世間とか関係なく、自分自身について考えられる時間だったと、今になって思う。

収録された日記の書き手は20人以上に及び、各エントリ数や長さなどはばらばら。
語り口は概ね今時の若者なのだが、書かれていることは真面目そのものです。
創作者として、自分自身と逃げず向き合っている彼らの姿は、強すぎる自負心をも含め(芸術家なら当然?)、眩しいくらい。
目標に向かって頑張っている若者はいいなあ…と、自分まで原点に立ち返ったような、清々しい気持ちになる。

自負心といえば、多くの学生が愛学心を語る中、一人わりと醒めた視点から「ムサビ」を見ている学生がいて、その冷静な語り口が印象に残った。
いろんな視点があっていいというか、そういう視点のあることに少しほっとしたのも事実かな。

その他、最近の就活の様子(殺気が充満してそうでコワイ)なども強烈だったのだけど、一番印象的だったのはやはり美大ならではの面白エピソード。
特に、毎年必ず伝説が生れるという入試がすごすぎる!
着ぐるみ着てきた受験生とか、超リアルな性器を作り上げた女の子とか、見学できるものなら是非にもな光景がずらり。
面白すぎます、美大入試。
ちなみに藝大の一次試験は国技館で行われるそうで、それもすごいよね。