寺山修司と海のトリトン

いつのまにかテレビが壊れてました。電源入れて数時間で砂嵐…。
テレビ、あんまりつけないのでいいんですが(つけてると用事が出来ない)、買って2年弱で故障したというのが地味に腹立ちます。
どうせなら1年以内に壊れろー!

そんなわけでオリンピックも特に観るつもりなかったんだけど、「柔道だけ」とついテレビをかけてしまい、水泳やホッケーまでずるずると観てしまった…。
砂嵐になるまではいいかー、と自分に甘い私。
昨日もそんな感じでたらたらザッピングしてたら、NHK-BSで昔のアニメソング特集やってるのに遭遇。
あまりの懐かしさにかぶりつきで観ちゃいましたよ。
「バビル2世」とか「キャンディ・キャンディ」とか、未だにそらで歌えるもんなあ。
でもって、「仮面ライダー」の歌を藤岡弘が歌ってたのには感動しました。
なんとなく時代劇の人かと思ってた、藤岡弘。

もひとつ意外だったのが、「あしたのジョー」の作詞が寺山修司だったことです。
自分的にかなりの驚きだったんだけど、いろいろマルチに活躍してた人らしいし、別にそう驚くことでもないんだろうか。
本来の意味での“マルチタレント”って、この人のためにあるような言葉だよなあと思います。
といいつつ、私自身は特に寺山修司の作品が好きだったわけではなく、たまたま観に行った舞台や読んだ翻訳本がこの人の手になるものだったという、それだけの出逢いしかしてないんですけども。
あ、でもひとつだけ好きな歌があった。「マッチ擦る つかの間海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」っていう有名なやつ。
青臭いロマンチシズムとナルシシズムがすごく好きです。

寺山訳のマザーグースも結構好き。
新書館から昔出たやつを持ってるんですが、これ、挿絵がアーサー・ラッカムってとこがまた素晴らしい、神和訳本だと思う。
英国産の文化芸術って、すべからく毒を含んでると思うんですよね、マザーグースも無論。
で、ラッカムの画と寺山の和訳は、そのマザーグースの毒をとても効果的に引き出していると思うんです。
(下はグリム童話「森の中のおばあさん」の挿画)

Die Alte im Wald



アニメのことに話が戻りますが、先日、『海のトリトン』の最終回を観る機会がありました。
『海のトリトン』、小さい頃に再放送を観たことがあるものの、最終回の内容をさっぱり憶えてなくて、ずーっと気になってたんです。
なんか、それまでの価値観を覆す大どんでん返しがあるとか、噂に聞いてたもんで余計に…。

で、ようやく念願かなってという感じで観たんですけど……ナニあれ、すごすぎる!!
いやもう、子供に向けて作ってないだろ、というか、少なくとも大人の鑑賞に耐えうることを意識して作ってるだろー、という小難しさでした。
一言で云うと、“正義と悪”という価値観の否定がテーマなんですかね。
監督がガンダムの富野Pなんで推して知るべしという感じではありますが…なんかもう監督の趣味全開みたいな。
なんにしろ、子供が観るには重過ぎるよな、ていうかそもそも理解できないよなあ。

ところで、『海のトリトン』はOPソングがカッコよかったのも印象的でした。アニメソングの中で一番好きかも。