終りなき夜に生れつく

終りなき夜に生れつく


タイトル買いした1冊(記事参照)。
面白くてあっという間に読んだ。なんかもう寝る間も惜しんでって感じで。
が、しかし。
すごく面白くはあったんだけど、最後のどんでん返しが反則技に近い力技だったために微妙にすっきりしない読後感となってしまった。
心境としては、全力で信頼してたのにあっさり裏切られてしまって、呆然とするやらいっそ清々しいやら…という感じ。
ただ、ミステリではなく悲恋物として読む分には、このどんでん返しも気にならない、というかむしろ効果的だろうと思う。
面白さの内訳はミステリ成分2に対して、切なさ成分8、といったところか。
以下、完全ネタバレになるので折り畳んでおきます。

不完全燃焼

「妖精の脚」ってどういう発想、つよっさん……。
心の剛さん語録に1個追加しときました。今年はしょっぱなから飛ばしてるなー。

時限爆弾内蔵式(時間が経つと突然砂嵐になる)テレビを物置に追いやってからというもの、ネットだけが情報源の生活を送ってます。
たまに観るとCMが新鮮だったり、芸能人の栄枯盛衰を感じたりと、まるで海外帰りのような気分が味わえます。
そんなテレビとのお付き合いですが、今日(15日)は珍しくも2番組観ました。

Nスペ「法隆寺再建の謎」、おーもーしーろーそー! 処天好きの血が騒ぐこのタイトル。
しかし、期待が大きすぎたのか、内容がないようってほどでもないけどなんか微妙に薄味だった気がする。
結局、金堂を別の土地に建てたのは、仏教信仰へのモチベーションを高めるためだったってこと?
でも、その後の敷地を移して法隆寺再建のいきさつがよくわかんなかった…ていうか、省かれてたのが残念だった。
一番知りたいところがすっ飛ばかされてた、みたいな。
まあ、なんというか、全体的に当たり障りのない内容でした。やっぱテレビだといろいろ限界があるのかな。

法隆寺の謎というと、処天好きなら思い出すのが『隠された十字架』ですよね。
これを読んで以来、法隆寺は鎮魂の寺というイメージが貼り付いて取れなくなってしまった。
その方がドラマチックだしね…なまじ漫画から入ったもんだから、お寺にもドラマ性を求めてしまう。法隆寺にはいい迷惑かも。
それにしても、梅原猛の学説って、今はどういう位置付けなんだろう?
個人的にはこういう人間臭い論考もあっていいと思うんだけどな。やはり異端なんだろうか。
梅原考古学といえば、『水底の歌』も面白かった。これも怨念ベースだっけ。
懐かしいなあ…なんか処天ともども読み返したくなってしまった。

青い花

青い花 (岩波文庫)



ちょうど画家や音楽家が目や耳という外にある器官を心地よい感覚で満たすのに対して、詩人の方は心情という内にひそむ聖域を、不思議な快い想念で新たに満たしてくれて、わたしたちの内に秘められたあの神秘の力を思いのままに刺激して、言葉によって未知の素晴らしい世界を知覚させます。――『青い花』ノヴァーリス(青山隆夫訳)

15年くらい前に買って書棚に差しっぱなしにしていたもの。今頃読んだ。
青年詩人ハインリヒの魂の遍歴を描いた、いわゆるドイツ教養小説の系譜なのだが、ゲーテやトーマス・マンのそれとはかなり趣を異にしている。
成長物語というよりは思想・哲学に近く、小説技法に囚われないさまはむしろ散文詩のようである。
想像力の翼は高みを目指して翔け、壮大で神秘的な世界を描き出す。

詩人の夢と理想の象徴である“青い花”に、長い旅の果て、ハインリヒはようやく廻り逢う。
その意味するところはつまり、詩の力による「可視の世界と不可視の世界との永遠の結合」だろう。
まばゆいほどに清冽な、ノヴァーリスの思想の結晶のような小説。

真木栗ノ穴

真木栗ノ穴



男は売れないミステリ作家。名は真木栗。
ある日真木栗は、部屋の壁に小さな穴を見つける。
同じ頃、彼の元に官能小説執筆の依頼が舞い込み、曰くありげな若い女が隣の部屋に越してくる――。

日傘の女、薬売り、古い木造アパート、そしてのぞき穴。
パソコンもファックスもテレビすらない薄暗い部屋で、原稿用紙に万年筆を走らせている真木栗。
舞台は現代なのに、昭和初期の世界を観ているかのようなレトロな匂いが濃く漂う。まるでそこだけ時間を止めてしまったかのように。
原作はホラー小説だそうだが、“ホラー”という言葉からイメージされるショッキングな怖さはない。
怖さよりも不可思議な魅力の方が勝る映画だと思うが、それでも、ひたひたと死の影に覆われてゆく真木栗の姿を観るのはちょっと怖かった。
今にも朽ち果てそうな古いアパートで現世と異界が交錯し、やがて誰が生者で誰が死者かさえわからなくなってくる。
登場人物たちが行き交う切通しは異界に通じる道のようだし、せむしの老人はその水先案内人のようだ。

隣の部屋の女を演ずるのは粟田麗という女優で、私は寡聞にしてこの人を知らないのだけれど、作中ではとても美しく撮られていた。
「美しい」というのは造形的な美しさではなく、楚々とした佇まいから匂い立つ女性美といった感じだ。
それも、とてもエロティックな。
真木栗が、彼女の脚についた赤いトマトの汁を拭き取るシーンのエロティックさといったら……。
ところで、壁の穴は左右にひとつずつ開いていて、真木栗の目を通して観客は両隣の部屋を覗き見ることになる。
一方では激しいセックスに興じる若いカップルの姿、そしてもう一方では、複数の男たちに抱かれる件の女の姿を――。
ただし、このふたつのシーンはかなり対照的である。若者カップルのセックスが生々しく映し出されるのに対し、男たちに抱かれる女の姿はごく断片的にしか映されない。
しかしながら、エロティシズムは後者の方が断然勝っており、観る者の妄想を煽るかのように漏れ聞こえる女の声とわずかに見える肌はひどく淫靡である。
女は結局のところ、真木栗の妄想の所産なのだが、男の妄想が生み出す女の儚い美しさとエロスには、幻だからこそ抗いがたい魅力があるのかもしれない。
そして、それはどこか死の魅力に通じるものがあるようにも思われる。

真木栗役の西島秀俊は、性欲だの官能だのという言葉からは程遠いその清潔な風貌が、却って役柄にハマっていたと思う。
どんなに変態的な行動も、西島だったら嫌悪感は湧かないんじゃないだろうか、特に女性の観客は。
線が細くて、ぎらぎらしたところがないから、無精ひげも煙草の山も不潔さとは結びつかないし。
中年女性との絡みでは、まるで「喰われる」かのようだったのも印象深い。
いうなれば植物的なエロティシズムだろうか、性的なものを感じさせないのに色っぽい、不思議な魅力のある人だった。

駅から5分

駅から5分 1 (1) (クイーンズコミックス)



くらもちさん、私が小学生の時すでに第一線で活躍されていたと思う。
あれからウン十年経ってるというのに、この感性の瑞々しさはどうだろう。
数年前に『天然コケッコー』を読んだ時も同じようなことを感じたんだけど、くらもちさんのアンテナって全然錆び付いてないよね。未だに脱皮し続けてるようにさえ見える。
決して守りに入らないってことは、決して枯れないってことでもあるんだろうな。
そういう意味で、見事に“守破離”を体現してる人だと思う。

第1話の舞台は東京の下町、中学生の女の子が主人公の淡い恋のお話だった。
第2話にはその後の顛末が描かれているのかと思いきや、舞台はいきなり長野県に変っている。主人公もまるで関係なさそうな大人の女性。
なので当然、「ふーん、一話完結モノなんだ」と読んでたのだが、ところがどっこい、第1話からの糸がちゃんと張り巡らされてあった。
この作品、ひとつの物語を主人公とアングルを変えながら見せてゆくという、よくある手法の連作になっていたのだ。
確かによくある手法なのだが、見せ方が巧いのか、なんだかとても新鮮に読めたのが不思議。
たぶん、スポットが当たるキャラたちの役割と、各々の相関性がすぐには分からないようになっているせいかもしれない。
で、話がかなり進んだところで、「あ、ここで繋がるんだ」とちょっとした驚きがある。
スポットの当て方とかエピソードの重ね方が巧いんだろうな。それも計算を感じさせない巧さ。
これぞ熟練の技ってやつですね。

物語は群像劇風に展開しながら、その中心に、いかにもくらもちキャラらしい男子高生・圓城陽人の存在を強く感じさせる作りになっている。
この陽人くんが実にカッコよくてミステリアス。くらもちさんの男子キャラは永遠のアイドルだよなあ。
そして腐女子的には、陽人に絡んでくる眼鏡少年・入谷の存在に萌えないわけにはいかない。
このふたり、何か濃密な空気を漂わせてるように見えるものの、まだまだ関係性に謎が多いもんで、余計行間を読みたくなるというか妄想を煽るんだよね。
神社のシーンとか神社のシーンとか。
とはいえ、やはり王道系少女マンガ(? レディコミじゃないし、どう分類すれば??)なので、BL的展開にはならないだろうな…。
オーソドックスに王道的に展開すると考えるなら、陽人はオーロラ姫の生れ変わりの女の子とくっついてハッピーエンドだろうか。
それにしても、「腐女子」とか「萌え」とか出てきた時はちょっと焦った。くらもちさんのマンガでこの手の言葉を目にする日が来るとは…(笑)。

入谷は父親を事故で亡くしているのだが、形見の腕時計に関する話がとてもいい。
傷ひとつなく動き続ける腕時計を見るたびに、彼は父親のことを思い出す。
「それがせめて必然であったって誰か納得させてほしい」と彼が云う、そのセリフがひどく切ない。
たぶん人生で初めて経験する不条理――それを受け入れるまでの出来事がさらりと描かれている。
このさらりと押し付けがましくない感じ、いいよねえ。
他に、かつて人気を博した女性声優の話なんかも味わい深かった。
立場が逆転してしまった後輩のことを回想するシーン、ほんの2ページほどのシーンの中に彼女と後輩との関係性や、何故立場が逆転してしまったのかを読み取ることが出来るようになっている。
そして、「誰にも求められていないという孤独感」が誰かに求められている喜びに変るラストシーンの見事さ。
巧いんだけどあざとくない、この感性はやっぱり少女のものかもしれないと思った。
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