黄金の日日

TSUTAYAで昔の大河ドラマを借りてちびちび観てます。
半年で1作品コンプするかどうかという、超スローペースですが。
コンプ作品の中でほぼ同時代(織豊時代)を扱ったものが3つあり、それぞれの視点の違いが面白かったので比較メモにしてみよう――と思ったんですが、『黄金の日日』を延々語っているうち力尽きました…。

『黄金の日日』 1978年
脚本:市川森一 原作:城山三郎 主演:市川染五郎(現松本幸四郎) 

黄金の日日 完全版 第弐集 第29回~第51回収録 [DVD]

この町はベネチアの如く執政官により治められる。
堺と称するこの町は甚だ大きく且富み、
守り堅固にして諸国に戦乱あるも、
この地に来(きた)れば相敵する者も友人の如く談話往来し、
この地に於て戦うを得ず。
この故に堺は、未だ破壊せらるることなく、
黄金の中(うち)に日日を過ごせり。
       ――ポルトガル宣教師ガスパル・ビレラの書簡より

炎上する堺の町を背景に、この文章が淡々と朗読されてドラマの幕が開きます。
なんという諸行無常……しかし、この歴史の非情さを描かなければ、歴史ドラマなんてただの紙芝居だと思う。

『黄金の日日』は、堺の商人・納屋助左衛門(呂宋助左衛門)を主人公として、主に彼の視点から戦国動乱の時代を描いています。

【主役】
まあ、大河の主役って難しいとは思うんですよね。
終始出ずっぱでないといけないし、毒があってはいけないし、結局無難なキャラになりがちというか。
しかし、無難な空気キャラならまだいいんです……!
独善的な主役ほど鬱陶しいものはない。「助左、Uzeeeeeeee!」と何度叫びそうになったことか。
幸四郎はまあよかったと思うんですけども…(演技は微妙だったけど)。
【脇役】
いいねいいねー!
三傑は云わずもがな、善住坊(川谷拓三)の悲哀、五右衛門(根津甚八)の不遜さ、モニカ(夏目雅子)の情念、そして、今井宗久(丹波哲郎)を始めとする会合衆の威厳と風格…。
『黄金の日日』は脇役陣のドラマにこそ醍醐味があると思います。
同じ市川脚本の『風の隼人』も、やはり主役空気で脇のドラマの方が面白かったから、もしかして市川氏の作品の特徴なのか…も?
【三傑】
織田信長(高橋幸治):個人的に最大の収穫。
その気品も冷酷さも、時折見せる笑顔も、すべてがパーフェクトだったなあ…。
台詞の抑揚のなさすら魅力となってしまうという。
登場回数は少ないながら鮮烈な印象を残す信長様(「様」付けせずにはいられない)ですが、「叡山焼討」はその真骨頂。
「有知無知の僧たるを問わず、女小童にも仮借は無用、山中の人影は皆斬り捨て、かたちあるものには火を放ち、全山人気なき焼き山にしてしまえ」
いささかも表情を変えずに秀吉と光秀にこう命じてみせる信長様は、まさしく魔王でした。

豊臣秀吉(緒形拳):人なつっこいお侍から傲慢な為政者へ、その変貌ぶりが凄すぎる!
血を吐き、のた打ち回りながらの死に様はトラウマもの。
秀吉にこんな死に方をさせるなんて、このドラマくらいじゃ?(信長様はあんなに美しく死んでゆかれたのに…なんと対照的な)
ところで、秀吉は何故利休に切腹を命じたのか――本作の解釈が非常に興味深かったので、ちょっと長いですが引用します。
黄金の茶室にて、利休(鶴田浩二)の助命嘆願に来た治部少輔・石田三成(近藤正臣)に、利休が死なねばならぬ理由を説くシーンです(「一介の船乗りが〜」の件りは助左衛門を指しています)。   
聞けよ、治部。
天下を統一するとは、物の価値を不動のものとすることじゃ。
金は金、銀は銀、土塊は土塊でなくてはならん。
土塊が黄金になってはならんのじゃ。
……
人も同じだ。
大名は大名、百姓は終生百姓でなければならん。
百姓が大名になってはならんのじゃ。
利休が生きている限り、この鉄則を確立することは出来ん。
利休が手を触れれば、土塊が黄金になる。
官位も身分も超えて、天子の頭上におのが木像を掲げてしまう。
利休一人のために物の価値が乱れ、人の世の上下秩序が蔑ろになる。
……
邪魔なのだ、こういうものが。
かわらけが、目利き一つで黄金と成り得た時代、
一介の船乗りが、一夜にして大徳人と成り得た時代、
そして、百姓の小倅が、たちまち関白にまでのし上がった時代
かくのごとき時代は終わりだ。
……終わりにせねばならん。
    
徳川家康(児玉清):信長秀吉に較べると、出番も少ないし地味な印象は拭えませんが、知将の匂いがとても好きでした、児玉家康。
登場する度に偉くなっていて、少しずつ寡黙に、冷ややかさを増していってたように思います。
秀吉の変遷にしてもそうだけど、物語の中でちゃんと時が流れてるんですよね。
家康の登場シーンで好きなのは、三方ヶ原への出陣を決意するところ。
「もののふならば、名を惜しめ」と家臣を叱咤する、家康らしからぬ(?)熱さがいいのです。

市川森一氏の脚本って文学的香気があって好きなんです。
ロマンと冷徹さのバランスがちょうどいい塩梅なんですよね。
キワモノ的悪役の原田喜右衛門(唐十郎)にダンテを朗誦させたり、たまにやり過ぎだったりするのはご愛嬌で(笑)。

これ書きながらDVDを見返してたんですが、ついつい見入ってしまうわー。
他にも鳥取城の兵糧攻めの話(浜畑賢吉氏演ずる吉川経家が素晴らしいんです)とかいろいろ語り尽くしたいところですが、今日はこのへんにしておきます。

外科室・海城発電

外科室・海城発電 他5篇 (岩波文庫)

 そのかよわげに、かつ気高く、清く、貴く、美(うる)はしき病者の俤(おもかげ)を一目見るより、予は慄然として寒さを感じぬ。――「外科室」

鏡花作品の女性は激しいなあ。
愛に殉ずることをよしとする、というよりも、おのが裡なる情念に殉ずることをよしとする――しからずんば死を、という人生ですよね。
その情念は肉体的快楽を伴わず、故に極限まで純化されて、美しくも凄絶な観念性にまで達しているように思われます。
泉鏡花の世界そのものとも云えるこの“観念的な愛と死”の主題、本短篇集ではそれが非常にストレートに描かれていました。

「義血侠血」
「滝の白糸」はこれが原作だったんですね。
水芸人“滝の白糸”こと水島友が一目惚れした車夫・村越欣弥のために尽くし抜く姿が、聖女か鬼女かという激しさ。
村越も寡黙ないい男です。
にしても、最初の乗合馬車での出逢いから最後の裁判所の顔合せまで、たぶん3回しか逢っていないんですよね、このふたり……。
その間の、どんでん返しに次ぐどんでん返し的な展開も相当濃いんですが、何かに憑かれたような白糸の情念が圧巻なのです。
読後感はなんとも云えません。

「夜行巡査」
これまた信念に憑かれた巡査の話。
この巡査と恋人・お香の仲を屈折した愛情から引き裂く伯父が、実にサディスティックで、結ばれない美しい男女のロマンを掻き立てる感じです。
が、しかし、結局のところ、彼らを永遠に引き裂いたのは、巡査の巡査たらんとする信念だったのではないか……。
やはりなんとも云えぬ読後感。

「外科室」
吉永小百合主演で映画化されてましたね(しかし吉永小百合は違うだろー)。
「義血侠血」のふたりはたった3回逢っただけで心中(結果的に見れば)してしまうのですが、このふたりは一度すれ違っただけの出逢いで心中してしまうという…まさに観念的愛の極限ですね。
それにしても女性の造型や描写の細心さ・深さに較べて、おしなべて恋の相手となる男性の影の薄いのは何故……まるでヒロインの情念が映し出す影のような。
そのぶん「夜行巡査」のサド伯父や「化銀杏」の夫みたいな、嗜虐性のある男性描写が濃いのがなんだか倒錯的だわ。

「琵琶伝」
この話はわたし的には一番強烈だったかもしれない。
一途でプラトニックな愛、引き裂かれた男女、ふたりを邪魔するサディスティックな男、と鏡花世界を盛り上げる要素すべて揃ってます。
それらがことごとく極限に達しているというか、少しも抜きの要素がないので、読んでて結構辛かったかもしれない…。
そして最後が、最後が……こういうラストをヒロインに与える鏡花って、女性の最高の賛美者でもありサディストでもあるような…。
最後の一文が切なく哀しいです。

「海城発電」
珍しく男性主役。
「夜行巡査」と同工異曲な感じの、博愛精神に殉じた従軍看護員の話。

「化銀杏」
恋愛譚ではないですが、ヒロインの造型はこれが出色かもしれないと思う、ちょっと怖い話。
自分を束縛する夫から逃げようとする儚げな女の話かと思いきや……いやあ女って恐ろしいですね。
やはり泉鏡花はただの女性賛美者ではない。
それにしても、自由を切望し、夫の死を願いながら、誰よりも貞淑な良き妻であろうとする、その心の矛盾にまるで無頓着なヒロインが、恐ろしくもあり哀れでもあります。

「凱旋祭」
夢か現か――シュールな光景の数々が明け方の悪夢を思わせるような不思議で不気味な掌篇。


いずれの主人公にも云えることは、みな何がしかの情念に囚われていること――それはむしろ強迫観念に近いとさえ云えるかもしれません。
そして、この強迫観念がおそらく泉鏡花自身のものであったことは、たとえば、鏡花が「腐」の字を嫌悪して決して使わず、どうしても必要な場合は代わりに「府」を当てた(「豆腐」は「豆府」と書いた)などというエピソードからも容易に推測されるでしょう。

この初期短篇集はそうした鏡花の内面が実に濃密に映し出されたものとなっているように思えます。

2011年備忘録的な何か

まったくもって自分のための2011回顧録です。東京中心なのです。

東京タワー

3月11日20時頃の田町近辺です。
着いた途端に地震に遭遇し、どうにかこうにか友人と落ち合い、長い道のりを友人宅まで歩き始めたところ。
東京タワーがあまりに綺麗だったので、陸橋の上から写しました。
みんな黙々と歩いていて、なんか妙な一体感があったなあ……。
中央区を出た辺りから徐々に徐々に人が減って、淋しくなっていったんですけれども。(友人の家はわりと最果てだった)

そんなわけで当然ながら、この時は殆どどこへも行けず。
唯一観れたのが↓の「ボストン美術館浮世絵名品展」@山種美術館でした。

チラシ

これ観に行ったのが確か13日。すでに電車も普通に動いてて、この時は今のような事態を予想だにしなかった気がする。
美術展は役者絵や美人絵が中心の、江戸の風俗を生き生きと伝え――といった趣きのものでした。
なんか最近和食を食べたいと思うことが多いんだけど、絵画も、西洋画より浮世絵や日本画に食指が動くんですよね。
人間、齢とると嗜好が変わるんだなあ…としみじみ実感する私。

もう1枚のチラシは9月に行った時のもので、「実況中継EDO」展@板橋区立美術館。
この美術館の企画展は本当に学芸員の愛がこもってる感じ。
小粒ながらもお客さんを愉しませようというサービス精神に溢れてるんですよ〜。

そして実況中継EDO展の見物は、なんと云っても伊能忠敬の「日本沿岸輿地図」!
一目見ただけで伊能忠敬の凄さがわかるシロモノ。
普通に今使ってる地図と寸分違わなく見えたんですけど…あれを一人で測量して作ったとか…伊能忠敬、何者?と思わずにはいられない。

他にも、日本人の記録好き、収集好きなところがよくかる展示品が多く、「こんなに細密な記録とる(しかも趣味で)民族って他にいねーよなー、恐るべしオタク魂だわ」などと感慨深かったです。

nobori.jpg

板橋美術館の幟(笑)。可愛すぎるだろー。

ある日の三田線

都営三田線の確か高島平あたり(板橋美術館へ向かう途中)。
車両内に自分一人になったので、思わずパシャリ。
東京でもこんなことがあるんだわーとなんか妙にワクワクしてました。

チケ

この時はあんまり興味を惹かれる美術展がなくて、「これでも行くかー」(すみません!)ともいっこ選んだのが「皇帝の愛したガラス」展@東京都庭園美術館。
エミール・ガレの“ヒキガエルとトンボを描いた花器”が結構好みだったな〜。
ヒキガエルとトンボの組合せがなんかシュールというか、ガレの趣味なのか何かの影響なのか……ちょっと興味が湧いたり。

シーサーみたいな

庭園美術館正面入口でお出迎えしてくれたシーサー(?)。

庭園美術館

とても東京都心にあるとは思えない庭園美術館の庭園(と云いつつ東京って結構緑多いよね)。
夏場は絶好のオアシスって感じです。気温が2、3度違いそう。

宗谷

宗谷丸@船の科学館。
この写真撮った時は名前しか知らなかった宗谷丸、その後ドラマ「南極大陸」で話題になり(観てなかったですが)、「ああ、あの船!!」と思ったのでした。
今こうして見ると、なんだかとても健気な姿に見えてくる。

去年は他に正倉院展(母のお供)とか山陰の温泉とか鳥取砂丘とかに行きました。
正倉院展、行く前から戦々恐々だったんですが、やはり!案の定!ものすごい人人人!!! 入館するまでに果てそうになった。
でも、奈良公園の鹿も見られてよかったよ(何の関係が…)。
温泉は、やや鄙びた場所にある古い旅館で、そのもの淋しい感じが何故か好きでした。ああまた行きたい。

ABC殺人事件

ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

The ABC Murders / Agatha Christie  1936
堀内静子訳


いわゆる“ミッシング・リンク(missing link)”ものの古典的代表作品。
ミッシング・リンクとは――
「失われた環?」などという曖昧な知識しかなかったんですが、なんでも――ミステリの場合――一見なんの関連性もない連続殺人を繋ぐ、背後に隠れた共通点のことだそうです。

内容は、タイトルから推測されるように、ABCの順でその頭文字の人間が殺されてゆくというものです。
事件の直前には必ず犯人からポワロへの予告が届きますが、このあたり実に古典的な見立て殺人モノって感じです。

そしてなんと今回、犯人と動機が大当たりでした。いやっほーい!
こんなにあっさり当たってしまって、一体どうしたの私!? もしや名探偵開眼!?
なんてことは無論なくて、ただ単にこの作品が教科書のような、ミステリ入門にはうってつけの作られ方をしていたおかげと思われます。
要するにある程度ミステリ(特にクリスティー作品)を読んでいれば思い浮かぶような、まったくケレン味のないプロットだったと…。
(ここから若干ネタバレを含むので折り畳みます)

謹賀新年

辰
©http://www.yubin-nenga.jp/

新年明けましておめでとうございます。

今年の元日はものすごく久しぶり(何十年ぶり?)に初詣に行って来ました。
地元の護国神社です。午後からだったけど人多かった(当然か)。
おみくじ引いてお守りも買ったよ〜。
護国神社は市中心部から車で15分くらいのところにあるんですが、緑が多く森閑としていて、気持よかった。
なんだろう、流れてる空気がきれいというか…何か違うんですよね。
また散歩がてらに行ってみようっと。

それ以降は相変らず寝正月を満喫しています。
風邪もやっと抜けたかなあ…という感じ。一度引くと長引くんだよなー。
そういえば去年は懐かしアニメの一気見やったなあ、あれも愉しかった!
今年は積み本とHD内の動画をいくらか減らしたところで休み終了になりそう……。
なんか今無性にろくでなし攻と健気受の話が読みたいんだけど、手元にその手の未読本がないんですよね。
amazonで何か注文しようかなあ……と思いつつ、そこでピタリと思考が止ってしまうのは、BL本買うのはギャンブルだよなと躊躇してしまうから。
評価と好みが一致すれば話が早いんだけどな。

そんなわけで(?)今は、正月休みになったら読むぞと心に決めていたクリスティーの『ABC殺人事件』を読んでいます。
すんごい今更感ですが……今更こんな有名作品をまっさらの状態で読めるのは幸せかも、などとも感じたり。

最後に毎度おなじみの台詞ですが、今年はもうちょっと更新できるといいなあ…いや、したいです。
それでは、今年もよろしくお願いします。