2010年備忘録的な何か

ブログ用に撮った写真がSDカードにあれこれ溜まってるのが地味に気になってたんですが、年も改まってちょうどいい機会なので、というか今を逃すと機会なさそうなので、備忘録的な感じで記事にしておきます。
といっても東京滞在時の写真ばかりなんですけども……。

《2010年3月篇》
美術館・博物館を巡るわよと決意するものの、程なくブーツでは無理と痛感、結局スニーカーを買いに走った切ない思い出。
そういえば春コートも買ったな。まあきっかけはともあれ、いい買物でした。

チケその2

■ボルゲーゼ美術館展@東京都美術館
16世紀〜17世紀のイタリア絵画中心。
カラヴァッジオとかラファエロとかが目当てだったような。
カラヴァッジオの写実性とエロスは相変らず際立ってて、やっぱ異端だよなあと惚れ惚れした。

■「浮世絵の死角」イタリア・ボローニャ秘蔵浮世絵名品展@板橋区立美術館
小さめな作品(写本の挿絵とか)がたくさん展示してあって、かなり見応えありました。
日本人ってつくづく漫画好きなんだよなあとか、デフォルメとか色彩のセンスは天才的だよなあとか、いろいろ愉しかった。
若い頃は浮世絵にはあまり関心なかったんだけど、加齢とともにその魅力がわかってきた気がします。
浮世絵に魅せられた西洋人の気持ちがよくわかる。

■大哺乳類展〜陸のなかまたち@国立科学博物館
角が好き
なかなか雰囲気出てるじゃあないか!(自画自賛)と、バシバシ撮った中でも一番気に入ってる写真なのですよ。
なんか難しい名前の美しい動物でした。

おおかみ
確か西洋オオカミだったような…うろ憶え…。
ニホンオオカミもいたけど、ずっと小柄でなんというかこう、可憐な雰囲気でした。

ネコ科一族
百獣の王と配下たち……のはずが、やっぱり唯我独尊の俺様たちにしか見えないにゃんこズ。

シカ科一族(?)
素晴らしいカメラ目線。
上のニャンコたちとは対照的なこの整然としたシルエット。美しいわー。

《2010年9月篇》
この時はショッピング中心でした。
バカスカ買い過ぎて翌月のカード明細で真っ青になったという、いい歳して何やってんだよ、でも愉しかったからいいのさ、な回だったな。

チケット

■陰影礼讃〜国立美術館コレクションによる@国立新美術館
陰影礼讃
大きな企画の端境期によくある小じんまりとした企画展。
学芸員(キュレーター?)のセンスや好みが色濃く反映されてる感じが面白い。
今回のは写真や現代アート中心だったかな。個人的にあまり接したことのない分野で新鮮でした。
ポスターの写真見て、『戦艦ポチョムキン』を思い出しました。大階段と乳母車。

コリドー
国立新美術館、いかにも現代的な美術館だったけど居心地良かったな。
このコリドーの眺めが好き。

■アントワープ王立美術館コレクション展@東京オペラシティアートギャラリー
ベルギー絵画って今ひとつ関心なくて、これも他に目ぼしいのがなかったから的な理由で行ったんだけど、意外にもすごくよかったです。
学芸員のチョイスが的確なのか、どの画も画家の個性や主題をよく表していてわかりやすかった。
ベルギーの近現代美術史を俯瞰できた感じ。

雨空
三越の空中庭園(?)。
あいにくの雨でその良さを体感できずじまいに……。
この日は確か月曜だったのですが、雨降りの平日昼間にもかかわらず、すべての階のカフェや喫茶に列が出来てておばさまパワーに圧倒されました。東京スゴス。

謹賀新年

うさ
©http://cp.c-ij.com/ja/contents/1008/

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
去年はさっぱり更新できず、殆ど仮死状態化していたこのブログですが、今年はもう少し更新頻度を上げたいなあ…という願望を抱いております。あくまで願望ですが…。

さて今年の正月は、寒波到来をいいことに完全ひきこもりのオタクライフをエンジョイしてます。
まあ、いつものことなんですけどね。
で、下のSBヤマト記事に書いた通り、まずは無印ヤマト全26話、続いて『さらば宇宙戦艦ヤマト〜愛の戦士たち〜』と完走しました。
いやあ、自分のオタク人生の萌芽はここにあったんだなあ…と万感胸に迫るものがありすぎる。

小さい頃はSFパート(一応ヤマトにもSF設定があるんです)完全スルーだったけど、ていうかそれ以前に理解不能だったんだけど、「タキオン粒子」のようなSF用語とか「対ショック、対閃光防御」みたいなお決まりのセリフとか、当時としては斬新だったんだろうなと、今だから分かる発見もあったり。
そんなかっちょよさげなSFっぽさ取り入れつつ、基本のストーリーはシンプルで情緒的であるところがヤマトの良さだったんだろうなと思います。
と、ひとことで言うとそんな感じなんだけど、それだけじゃない何かがあるような気がして仕方ないんですよね。
ヤマトにしかない魅力……とりあえず戦艦大和がベースにあるからこそ、ってのは云えるかも。

それにしても、今改めて観ると「さらば」はちょっと不思議な引力を持った作品ですね。
これだけシンプルでありながら、ここまでの絶望感に満ちている、それでいて娯楽作でありうる作品って、かなりすごいと思う。
ある意味禁じ手をやらかしてるのかもしれないけど、でもそれを超越した魅力があるんですよね。
あらゆる瑕疵を呑み込んでしまう引力、熱狂的なファンを生む作品とはこうしたものなのかもしれません。

ヤマトに続いて、現在初代ガンダム全43話を視聴中です。
私はどちらかというとヤマトよりガンダム世代に入るんですが、ガンダムって再放送をちょろっと観た憶えしかないんですよねえ…。
子供には難しすぎたんじゃ…と思ってたんだけど、作品を再見した今、私は確信した、これを理解できる小学生なんているのか!?
まあ小学生にしたら、ガンダム強えええ! かっけえええ!ですべてオッケーなのかもしれませんが。

ガンダムはヤマトの弱点を埋めるところから始まった作品、と最近ネットで読んだんですが、確かにそのとおり。
ヤマトではなあなあで済まされてた(?)、主にSF面での欠落を細かく穴埋めしてる感じ。
こういう設定の細かさが、ファンにはたまらんのだろうなあ。
戦記としても非常に面白いと思います。

そうそう、今回初めて知ったんだけど、ガンダムって独立戦争の話だったんですね!
ジオン公国って反乱側だったのか……しかし、ジオンはザビ家による独裁国家なんですよね?
なんか独立を謳う側が一公家ってのが、ちょっとピンと来ない。
独立戦争なんだから兵士の士気の高さは不可分だろうに、独裁国家という時点でそれってありうるの?みたいな。
国家規模にしても連邦軍の三十分の一だというのに、何故あれだけの軍事力を維持できるのか。
そもそもジオン公国って何で潤ってるの? アラブ諸国みたいな感じなのかしらん。
このあたり、語られないだけで何か設定があるのかな…それとも今後語られるのか(現在23話のへん)…。
うーん、大人になるとこういう雑念に煩わされるのがいやですねえ。

と、なんかヤマトに甘くガンダムに冷たい感想ですが、それは私がヤマトファンだからです。すみません。

ヤマト、ガンダムと来れば、次はエヴァと行きそうなもんですが、さにあらず攻殻機動隊に行きます。楽しみ〜。

やまとしうるはし

ポスター

小学生の時に「さらば宇宙戦艦ヤマト」を観に行ったんですよねえ…大好きだったなあ、ヤマト。
あの夏の熱気は今も忘れがたく、子供時代の記憶とともにあります。

去年、“ヤマト実写化! キムタク主演!”と聞いたときは、え、何その誰得企画、ていうかどうせいつもの見苦しいグダグダの末の企画だろう、ていうかT●S経営苦しすぎて藁にもすがりたくなったのかね……と、大人になるっていやねーみたいな醒めた心境だったんですが。
ネットでトレイラーとか観てるうち、なんかキムタクは全然古代に見えないけどネタとして観る分には面白いかも…とじわじわ好奇心を掻き立てられたのでした。

まあ実際のところ、ヤマトファンの端くれとしてCGで動くヤマトを観てみたかったのかもしれません(笑)。

というわけで行ってきました、「SBヤマト」。
平日のレイトだったので20人ほどしか客が入っていなかった。
時間的にサラリーマンは厳しかったのか、学生風の若者の姿が目立ってました。
今の若者にはヤマトってどんな位置づけなんだろなあ。もはや歴史の彼方の昭和アニメってところ…?

感想はというと、意外にも、思ってたよりは面白かった、ってところでしょうか。
とはいえ、脚本は本当に酷かったんだけどね……ところどころ、アニメのパートIと「さらば」のつぎはぎだし。
でもその、まさにそのつぎはぎされた原作部分に泣かされてしまった。
真田さんと斉藤が死ぬシーンなんて本当にまんまでさ、柳葉敏郎がまた、アニメの真田さんが憑依したような演技なもんだからもう…観てるこっちは「さらば」を思い出さずにはいられないわけですよ。
最後、古代ひとりになった第一艦橋に沖田艦長や真田さんたちの幻が現れるシーンとかも……まんまやんけ!

なんか観てるうちにアニメの画がダブって見えてきて、「さらば」を観てるような錯覚を起こしてしまった。
そうそう、今市子の『萌えの死角2』に舞台版『トーマの心臓』を観たエピソードがあったけど、ちょうどあんな感じかも。
心頭滅却すれば火もまた涼し、じゃないですが、最後にはキムタクさえ古代に見えてしまったというファン心です。

しかし、キムタクは見事なまでにキムタクだった。あそこまで徹底していると清々しくさえあります。
森雪のメイサは、まああんなもんでいいんじゃないでしょうか(なげやり)。
個人的に(あくまで個人的に)よかったのは、渾身の真田さん演技の柳葉さんと、斉藤役の池内博之でしょうか。
あとミーくん役の猫が超可愛かった。これだけは原作を超えてると云えるかもしれない。

今回しみじみ思ったのは、「宇宙戦艦ヤマト」という作品の主人公は古代でも沖田艦長でもなく、ヤマトという艦なんだということです。
はからずも、ヤマトの見せ場が殆どなかったこの実写版に教えてもらった気がする。
あと音楽について。
実写版の音楽担当は佐藤直紀氏でした。
佐藤氏といえば『ハゲタカ』等々の実績もあり、それはそれで期待の持てるところなのですが、なまじ宮川氏のテーマ曲を使ってしまったものだから、完全にそちらに食われてしまった印象を受けました。
まあヤマトにあのテーマ曲は外せないというのは確かなんだけど、なんか佐藤氏的には複雑なものがあったんじゃないかなあ…。

とまあ、いろんな意味で中途半端な印象の映画でした(なかなか面白くはあったけど)。

それはそうと、映画のおかげで久々にヤマトが観たくなり、今ネットでパートI全26話を鑑賞中――この昭和臭がたまらん。
これが終ったら「さらば」に行こう…辛いけど。
ちなみに私にとってのヤマトは「さらば」で完結してます。作品的にも「さらば」が最高傑作だと思う。
音楽は、でも、「永遠に」もすごくいいんですよねえ…まさに愛とロマン。
最後に、パートIから特に好きな曲をひとつ貼っておきます。

「宇宙戦艦ヤマト」より“出発(たびだち)
http://www.youtube.com/watch?v=h7mFp2H_PfY

ゼロ時間へ

ゼロ時間へ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

Towards Zero / Agatha Christie  1944
三川基好訳


いやー、すっかり騙されちったぜ。
こいつorこいつorこいつに違いない!と予想した犯人すべてハズレですよ。とほ。

タイトルの“ゼロ時間”とは“殺人の起った時間”のことで、探偵役のバトル警視によると
「殺人は事件が起こるはるか以前から始まっているのです! 殺人事件は数多くのさまざまな条件が重なり合い、すべてがある点に集中したところで起こるものです。<中略>殺人事件自体は物語の結末なのです。つまりゼロ時間」
だそうで、本作はこの“ゼロ時間”へ向けて物語が収束してゆく形をとった、“ミステリの常識を覆したと評価の高い画期的な野心作”とされている。

のだけれど、実際そこまで画期的とは……ゲフンゲフン。まあ半世紀以上昔の作品ですからね。
良くも悪くも古典ミステリの範疇を出ていない、だがそれがいい、という作品だと思います。

メインとなる事件は物語中盤に起きるのですが、それまではテニスプレイヤーの夫と若い妻、捨てられた元妻の3人を中心とした、クリスティ得意の愛憎劇で物語を引っ張る感じです。
結構昼メロチックなんですけどね、チラ見せ的な心理描写が巧みなので、「この二人は結局どうなるの!?」と先が気になって仕方ない。テンポもいいしね。
最後の謎解きはやや非現実的な感がなくもないけど、まあでも古典だから…で許容範囲ではあります。

冒頭で描かれる互いに何の関連性もなさそうなエピソード群、これらが徐々に線となって“ゼロ時間”へ集約されるのも面白い。
読了後に冒頭部分を読み返すと、点と点が繋がり(いくぶん強引だけど)線になる全体像が見えてきて「そういうことかー!」とちょっと感動しました。

ところで、本作について「良くも悪くも古典ミステリ」と書きましたが、実はメインテーマは現代に通ずるものだったりするんですよね。
メインテーマというか、犯人の人物像と動機ですが。
かなり現代的な犯人像と動機だと思ったんだけど、実はいつの時代にもあり得ることなのかな(事実は小説より奇なりだし、イギリスだし)……今も昔も狂気には違いないと思うけど。

なつアニを巡る旅

ヒマなので連日更新しちゃいます。

ヒマだとつい、ニコとかYouTubeに入り浸りになっちゃって、結果懐かしの動画を巡る旅に出てしまうことが多い私。
あ、でも最近のもたまには観るんですよ? アニメの「デュラララ」とか。結構面白かった(1話しか観てないけど)。
セリフはリアルにオタクチックだし、池袋の描き込みハンパないし、ピンポイントでオタク層狙ってるよなー。

懐かしの動画巡り、ここ数日は原体験レベルのアニメ観てました。
原体験=幼少のみぎりに観たものということは、今観返すとやっぱくだらなく映るかもなあ…と思ってたんだけど、ところがどっこい、そうでもなかった。
ていうか、今観ても十分愉しめるじゃないですか! さすがジャパニメーション!
昔のアニメって――ドラマや映画にも云えることですが――、まず脚本がしっかりしてるよね。
ちゃんと日本語を勉強した人が書いてるなあ…と、ってなんか当たり前のこと云ってますけど。
でも最近は、この当たり前のことが当たり前でなくなってきてるような気がするんですよね……
って愚痴っぽくなっちゃいましたね、いかんいかん。

で、本題のなつアニ鑑賞記。

■「ジャックと豆の木」

ジャックと豆の木


これ観たのって確か6歳か7歳の頃。我ながらよく憶えてたなあと思う。
(てか、ニコで全部観れることに感動した!)

小学校に入ったばかりの頃、全校集会みたいなので観たんですよね。
なんでこのアニメだったのか、今思うと不思議なチョイスだなあ。
憶えてたのは、豆の木が空に向かって伸びるシーンとお姫様の葱坊主みたいな髪型と、音楽が印象的だったということ。
で、今回観返して思ったんですが、これ、大人が観ても十分面白い。

全篇ミュージカル仕立てで、音楽の作詞が阿久悠、声の出演が市村正親に山本リンダ(!)に西村晃に…となんか錚々たる顔ぶれの力作でしたよ。
音楽と豆の木のシーンは本当にすごい。子供心に強烈な印象残すのも肯けます。
あと、お姫様が薬呑まされて結婚式に出るシーンは、『カリオストロの城』をちょっと思い出した。
もしかして少なからず影響与えてるのかなあ……?

なんにしろ、埋れさせておくのは惜しいアニメだと思いました。

■「まんが世界昔ばなし」より“エミリーの赤い手ぶくろ”

エミリーの赤い手ぶくろ


幼少時のトラウマその1。
これはねえ、もう本当に本当に怖かった!!
あまりに怖かったせいか、最後におじいさんが階段を上がってくるシーンは今に至るまで鮮明に憶えてました。
おじいさんの姿は見えず、声と階段を昇る足音だけが聞こえるのが余計に恐怖を煽るんですよ。
でも、子供だから、恐怖に怯えつつもハッピーエンドを信じて疑わなかったというか、「エミリーはきっと助かる! 早く助けに来てあげて」とか思ってたんですよね……そ・れ・な・の・に……!
ラストはなんと云ったらいいか、実にイギリス民話らしいブラックさでしたわ。

昔は、こういう理不尽な話が結構ふつうにオンエアされてたよね。
そして記憶に残ってるのも、こういう話だという……。
それだけショッキングだったからか、或いは消化不良の記憶が気持ち悪いからか――いろいろ考えてしまうなあ。

■「まんが世界昔ばなし」より“炎のうま”

炎のうま


これは今回ニコで初めて観た作品(動画タイトルに「トラウマ劇場」と入ってて笑った)。
「世界昔ばなし」つながりということで。

えー、「まんが世界昔ばなし」なのに、あろうことかエドガー・アラン・ポーですよ。
ちょ、待てよ!と云いたくなった私。
いやースタッフのチャレンジ精神は素晴らしいと思うんですが、その方向性はどうかと!

あらすじはですね、母親譲りの美貌ながら重度のマザコンという或る若い領主が、死んだ母親よりも美しいものが存在することが許せないために狂気に突っ走り、破滅してゆく、というお話。
まあ、いかにもポーらしい病みっぷりのストーリーなんですが……が! これ、全然「昔ばなし」じゃねえ!
結構エグい描写やセリフもあったりして、今だったら絶対放送出来ないだろうなあ…と当時の社会の懐の広さは羨ましい気もしますが。
それにしても何故スタッフはこれを題材にしようと思ったのか、不可解なり……。
幼少時に観てたらトラウマ確実の問題作ですね(笑)。

■「ラ・セーヌの星」

ラ・セーヌの星


これが放送されてた頃って「ベルばら」ブームじゃなかったっけ?
ブームに乗っかった作品なのかなと思ってたら、「ベルばら」アニメ化の企画がポシャって生れた作品だったそうです。
当時は闘う女の子ってのがまだ珍しくて、シモーヌがめっちゃカッコよく見えたなあ。
や、今観てもカッコよかったですが。

ところで、驚いたことに、監督がかの富野由悠季氏だった!
途中から関わってたらしいですけど、そういえば確かに、最終回が近づくにつれ善悪の境界が曖昧になるという富野由悠季黄金パターンが炸裂してるわ。
まあ革命を背景にしてる時点で善も悪もないですけどね。
しかし、それをきっちりリアルに描いてるのはさすが御大だと思いました。

このアニメ観てたのも相当小さい時で、最終回の記憶くらいしかなかったんだけど、YouTubeに(後半部だけ)上がってるのを観てみたら、憶えていた以上にシビアな内容でびっくりしました。
民衆の残酷さとか、ひとたび権力を握った人間の傲慢さとか、アントワネットの悲哀とか…。
そういうのを逃げずに描いているのがいい。
私が一番鮮明に憶えていたのは、アントワネットが処刑される際に、彼女がかぶっていたナイトキャップを刑吏が「邪魔だ」と乱暴に取り去って投げ捨てるシーン。
投げ捨てられたキャップがゆっくりと落ちてくる画にかぶせてギロチンの刃が落ちる音がする、それがひどく印象的だった。

そういえば、シモーヌはアントワネットの異母妹って設定だったんですよね。
トンデモながらワクワクする設定だったよなあ。
最後は、シモーヌとロベールが、マリー・テレーズとルイ・シャルルを連れてパリを出るところで終るんだけど、私の記憶ではわりとハッピーエンドだったんですよ。
ところが、今観返してみるとそうでもない…。
一応シモーヌたちは無事にパリを出てゆくものの、そこにかぶるナレーションは
「ミランの予言通り、フランス革命はマリー王妃の処刑が発端となって、より多くの人々の血を要求する恐怖政治の時代へ進んで行った。近代への道はまだ遠い。
その後、シモーヌたち若い親子の噂を、パリで聞くことはなかった」
と、なんだか不穏なんですよね。
そして、背景には、フランスの未来を暗示するような、暗い雪景色と木枯しの音。
最後、雲間から射す光にかすかな希望が見えるという、そんなラストで。
これはさすがに子供には理解できなかっただろうなあ……でも、余韻の残るいい終り方だと思いました。

機会があれば、1話から全部観てみたいです(ていうかDVD出して!)。